現在過去〜ドリーマーと白昼夢・GONE〜
〜往ってしまったモノ、通り過ぎたヒト。全てを捉えるには、この両手はあまりにも小さくて〜
暗い何処かで何かが蠢いている。少年と呼べるにも満たない、男の子だった。
其処は何処だっただろうか?限りなく闇なのに、微かに明るい。
これは何だっただろうか?抱きかかえた縫いぐるみは温かく微笑みかけているのに、こころは冷たく・・痛い
これは誰のモノだっただろうか?・・・・・・涙が一筋、少年を伝っていった。
突然、少年は弾かれたように立ち上がり、まるで知っているかのように部屋を飛び出した。
急がなくちゃ、急がなくちゃ・・!少年は何処に向かえばよいのかは分からないはずなのに、ただひたすらに一路、暗い世界を走り抜けていく。
息を切らし、跳ぶように走っても、結末はいつもと変わらない
少年は其処―生活感のまるでない、2LDKに立ちつくす。涸れたはずの涙は何処からか溢れ、何もない喪失感を埋めようと、流れ続ける、ひたすらに、ひたすらに・・
「・・んはぁッッッ!」
前文をブチ壊すかのように、上嶋 彰彦は覚醒した。寝ぼけ眼に涎と涙が一筋、大きなPakoのバッグを抱き締めて(殊勝にも置き引きを警戒しているのだ。)優先席にふんぞり返っていた。
(やべぇやべぇ、いつの間にか寝ちまったッぽいな・・)
頭をぼりぼりと掻き、少しずつ回復してきた思考を働かせ始めた。
(確か今日寝坊してギリギリの電車に乗ったんだよな。それで・・空いた席見つけたから座って、それでついうとっとしちゃって・・)
其処まで思い出して、彰彦は周囲に違和感を感じた。
(あれ、なんか無駄に空いてねぇ?てか、有嘉学院の制服、誰も居なくねぇ・・?)
徐々に顔色が青くなっていく。そして彼はばっと後ろ−窓を見た。其処には、実りにしなり、緩やかなカーブを描く、黄金色の穂の海が広がっていた。なんつーか、長閑である。
彰彦はここが自分の記憶に全くない光景であることに気付いた。皆さん、もうお分かりだろう、つまり彼は・・
(寝過ごしちまったぁぁああぁ!!!!)
茫然自失の少年など気にせず、電車は揺れる・・がたたん、がたたん・・
「どうしよう、どうしよう・・」
唱えたところで失態は消えるわけでもないが、そうしてしまうのは人情だろう・・そう思いながら、彰彦は腕時計を見た。
時刻はAM9:38。あと二分ほどで一時間目は終わってしまう。
(次の駅で乗り換えれば、三時間目には間に合う・・)
今年の猛暑も過ぎ、陽光は優しく、細くなっている。本日は晴天ナリ、吉日良好(なら寝過ごしはしないだろうが)THEお昼寝日和。さらに幸か不幸か両親は共働き、家には誰も居ないから、両親は自分の遅刻には気付かない。
そこまで条件が揃ってしまうと無理して授業に出ようなんて気がなるのは自明の理であって・・
(決めた!今日は授業サボろう!どっかで休養取ってダラッと生きよう!)
ま、受検にも縁無い高校一年なんてこんなモンである。はいツモ、国士無双。
取り敢えずやることもないので、彰彦は本能の儘に寝ることにした。
瞳が少しずつ重さを増し、心地よい眠気が感覚を優しく満たしていく。
彰彦の意識がまさにトぶ瞬間、かん高い声が彰彦をこっちへ呼び戻した。
「ん寝るなぁぁぁぁぁぁッッッッッッッ!!」
一瞬、心臓が止まるかと思った。彰彦は即座にフリーズした思考を叩き起こし、目の前の、何故か満足げな音源に目を遣った。其処に立っていたのはちょっとツリ目気味な、ショートヘアの、よく言えば利発そうな少女。ちょっと好みなのはまぁ、どうでも良い話。
(・・この娘、誰だろう?)
彼女は第一声に負けない声で機関銃トークを始めた。
「アンタ、それ、有嘉の制服じゃない!・・はは〜ん、こんな時間に電車に乗ってるって事は、あなた、サボりね!そうよ、そうだわ!そうなんでしょ!」
一気に捲し立てる彼女に、彰彦は呆れてしまった、というか・・
「て言うか、お前の服も制服じゃん?」
「う゛・・」
彼女の顔がぴしっ・・と強張る。
「・・と言うことは、お前も・・サボり?」
・・・気まず〜い沈黙。しかし腹を括っている彰彦は別段動じもしないが、攻めから一転して急所を突かれた彼女は目まぐるしく顔色を変えて、突然、喚きだした。
「う、うるさいわね!ええそうよ!私は寝過ごしましたよ!大回りで戻るつもりですよ!!何よ!それが悪いとでも言うの!何とか言いなさいよ!」
先に言及したのはそっちだろう。逆ギレって恐ろしい。
その言葉に流石に彰彦はキレた。ぷっつん。
「て言うか逆ギレかよ!んだよ、せっかく人が夢見心地でいたのに、ソッコーで邪魔しやがって、悪いのはそっちだろ!手前ぇこそ何とか言ったらどうなんだ!」
「・・ひとりで、不安だったんだもん」
眉を寄せ、消え入りそうな声で、ぼそっと呟いた彼女に、彰彦は罪悪感を感じてしまった。
「あ、・・ご、ごめん。」
言葉が途切れ、電車の音だけが響く・・がたたん、がたたん・・
現在型過去。再燃現象は列車のように、記憶の断片を停まっては進む・・
「ゆいちゃん、あそぼぉ〜!」
返事も待たずに少年は背伸びしてドアノブを捻る。
どたどたと靴を脱ぎ散らかし、少年は奥の部屋に勇み足ではいる。
「あきひこちゃん!」
其処には満面の笑みの少女が、パジャマのまま、お気に入りの熊の縫いぐるみ(ちゃーりぃ君♂)に桃色の涎掛けを掛けてようと格闘(絞殺?)していた。後ろに空の哺乳瓶とゴム製の包丁(ママゴト用の安全なヤツ)と無惨に解剖されたプラスティック製の野菜がバラバラと散らばっていた。赤い液体があれば、猟奇殺人現場にも見えるかもしれない。
少女はちゃーりぃ君を大切そうに座らせ、少年の側に来て言った。
「でもだめだよぉ?おうちにはいるときはノックしなくちゃ?どろぼうさんだよ?」
「ちがうもん!ぼく、ノックしたもん!ゆいちゃんがへんじしなかったんだよ!」
「ちがうもん!」
「ちがくないもん!」
どっちもどっちなのだが、幼い2人は自分が正しいと、頑として譲らない。とうとう二人はぷぅっと頬を膨らませたまま、背中を向き合わせてしまった。
沈黙は長い。流れを止めた世界は、絡みつくように刻一刻と少年の瞼を重くしていく。ぼんやりとしていく意識の中、少年はふと、後ろで気配が動くのを感じた。少女は扉の向こうへ消えてしまった。
孤独は怖い。少年はふと、自責に駆られた。このまま仲が悪くなるのは、いやだ。自分が悪いのだ、一言ごめんなさいと言えばいい。ただそのタイミングが掴めなかった。
思案は深い。少年は停まった世界に同化するかのように、腕を組み、動かなくなった。
ぴと・・
?頬が冷たい。まぁ、気のせいだろう、少年は思案を続けた。
ぶぎゅうううううううう!
何か硬くて冷たいモノが頬をグリグリしている・・!少年はそれを取ろうと手を伸ばす、
其処には少女の温かな手と、一本の缶ジュースがあった。
「なかなおりの、ぷれぜんと。あのぉ、ごめんね?」
「ん・・ありがと。ぼくも、ごめんね。」
少年は恥ずかしがってえへへ、と笑うと、少女も笑顔を取り戻し、少女の提案でお飯事(少女のマイブームなのだ)を始めた。
それ以来、二人はケンカをする度に、どちらかがジュースを持ってくるようになった。どちらが決めたでもない、子供ながらの、他愛のない約束事。
・・・・と。
彰彦は回想から戻ってきた。気付けば電車は停車していて、あの喧しい少女は居ない。
『当車両は、分岐のため五分ほど願津駅で停車いたします。前二両は〜・・・』
(・・トイレかな?まぁ、何にせよ五月蝿いのが居なくなったのは此方にとって好都合だ。)
少年は目を閉じると、良き日の回想が始まる。まぁ・・また寝たって事。
(ひ〜間に合わないぃぃ!)
少女は停車後、気まずくなって少し外に出ていた。怒鳴り散らした彼はぼけっと惚けてしまって、話もクソもできなかった。
(あ〜もぅ!折角学校サボってまで二人っきりになったのに!)
少女−柏木 結華は・・彰彦に恋をしている。
彼を意識し始めたのは二ヶ月前、七月の半ば、期末シーズンのこと。彼女は来る期末試験に向けて寝る間も惜しんで勉強していた。と言うのは、期末の成績は直接夏休みに影響を及ぼす。頭の良い方ではない結華は努力しなければ、夏休みの補習は必至だった。
そのとき結華は連日睡眠時間を大幅削減して勉強をしていた。
電車に揺られていたとき、急速に世界が遠ざかっていくのを感じた。それから一拍置いて身体の力が抜けた。重力に逆らうことなく地面に近づくことを感じた。
がくん、と言う衝撃を感じ、落下が停まったことを知覚した。やや頭上から声がした。
「大丈夫?」
声の主を見てみると其処には純朴そうな少年が立っていた。と同時に自分の状況を認識した。つまり目眩を起こした自分を目の前の少年が支えてくれた、と言うこと。その事に結華は恥ずかしさのあまり咄嗟に返事をした。
「は、はい!大丈夫です!」
そういって結華は彼から目を反らして吊革に捕まった。
嗚呼、これが運命なんだな、と結華は思いこみ、再び目眩を覚えた。
以来、結華は電車に乗るたびに彰彦を目で追い、彼に話しかけるチャンスをねらい続けている。
(はぁーあ、それでせっかくのチャンスだって言うのに、私、何やってんだろ?)
軽い自己嫌悪に陥りながら、結華は車両に戻ってきた。仲直りの印にと、両手にはコーヒーを一本ずつ持ってきている。
(彼、コーヒーが好きだと良いけど・・)
結華は彰彦の居る車両を目指した。
結華の気持ちなど何処吹く風、と言った具合に彰彦は寝ていた。時々無邪気にへらっと笑うのが、可愛いんだか、気色悪いんだか・・
そんな無防備な彰彦を見て、結華は、くすり、と微笑んだ。そして、何を思いついたか結華は手に持っていた缶をそっと彰彦の頬に近づける。
ぴと・・
一瞬彰彦が眉間にしわを寄せた。反応はそれっきりで彰彦はまた寝入ってしまう。恐るべし、人間の三大欲求。それだけの反応に納得しない結華はその缶を彰彦の頬にねじ込む。
ぶぎゅうううううううう!
熱が頬を伝い、ぬくもりは徐々に熱さに変容する。
「・・あじぃぃ!」
「あ、起きた起きたぁ!」
くわ、と目を開き、彰彦は少女を睨み付けた。対照的に少女はニコッと笑う。
「起きた!じゃねぇよ!お前一体何をしたぁ!」
少女は何が悪いのか、と言わんばかりにホットコーヒーの缶を見せる。
「普通、ホットでやるかよ!火傷するわ!」
「何よ!折角買ってきてあげたのに!いつも寝てるアンタが悪いんでしょ!」
「んなモン頼んでねぇよ!じゃあ何で買ってきたんだよ!」
その問いに少女は口籠もり、顔を赤らめて、目を少し逸らしつつ言った。
「さ、さっきは・・私が悪かったからね、仲直りにと、思って・・」
その言葉で先刻の回想が甦る。仲直りにジュースを差し出す少女は、思い出の中の少女と重なった。彰彦の中で、都合の良い妄想が走り出す。
(ゆいちゃん?戻ってきたのか?まさか、そんな・・偶然だ!んなマユツバな夢物語、現実に起こるわけ無いじゃないか!)
そうやって妄想を否定するが、もしかしたら帰ってきたのかもしれない、と言う可能性が彰彦の頭で反芻した。全ての事象に零も百も無いのだ。
「ねぇ・・ねえってば!コーヒー・・いらないの!?」
はっと我に返る。目の前の少女は、許しを請う、拗ねた子供のような目で此方を見ている。
「あ・・ゴメン。もらう、もらう。」
「ねぇ・・じゃあ、もう、怒ってない?」
少女は、少し上目遣いに、彰彦の顔を伺う。怒鳴られたときの喧しい印象が一瞬揺らいだ。
(な、なんだコイツ・・今までとは別人みたいな感じだぞ・・?)
彰彦は一瞬、全身に送られる血の量が増えた気がした。そして、その事を全力で否定して、
「ん・・あぁ。全然大丈夫だよ。」
そう答えた。自分の声が、いやに空虚に聞こえて、よかったぁ・・とすぐ側で言う少女の言う声が、何故か遠くで聞こえた。
その後は二人でボックス席に移動し、コーヒー片手に下らないことを話した。
互いの学校のこと、アホな友だちの話、数学の菱村の愚痴、漫画のこと、好きなアーティストの話、それから、それから・・
色んな事を話した気がする。最初の気まずい空気は、もう何処かへ霧散してしまっていた。空気の流れはゆるりと変わり、和気藹々とした雰囲気が対面掛けのボックスを満たしていた。
ただ、彰彦は彼女の過去と名前には決して触れなかった。甘美なもしかしたらを傷つけるのを恐れていたし、それが元で、この流れが壊れてしまうのが、何よりも辛かったから。
知っても知らなくても、後には苦いモノしか残らない。分かっていても、踏み出す勇気がなかった。
ほんの小さな一言で崩れる均衡で、少年は面白可笑しく談笑していた。
進む車両だけが、我不関と軋む律動を奏で続ける・・がたたん、がたたん・・