九月二十三日(木)
六畳一間のベッドの上で霧島 千塚(きりしまちづか)はイモムシになっていた。大きな熊のぬいぐるみをベアハッグするかのように抱き、ごろごろ、ごろごろ。恋煩う少女がやればもっと絵になるのかもしれない。というのは千塚は高校二年。イイ歳した女子がこんな事をするのは(筆者的にはアリだが)若干幼いような気もする。
ぶっちゃけて言おう、彼女は今、片想いをしていた。お目当てはクラスの広野 明臣(ひろのあきおみ)。さっぱりと切った黒い短髪、健康的な肌、そしてちょっとオトボケた瞳etc...と言う、いかにも平凡な(失礼でも的確)少年である。
何故彼が好きなのか?それは彼女にも良くわからない。ただ、彼が意外にも読書家で、足まめに図書館に来ては仲良く話し、そして笑う。その度に千塚は心に何か温かいモノを感じる。それを彼女は「ああ、これが恋なんだなぁ・・」と解釈している、それだけなのである。
「決めた!明日こそ絶対に告白してやる!」
千塚はそう心に誓って瞳を閉じた。その誓いを果たしたらどうなるだろうか?それは誰にもわからない・・
九月二十四日(金)
私立有嘉学院の制服を着た充血した白ウサギがへろりへろりと歩いていた。千塚である。
目を閉じると彼を意識してしまう!やはりこれは恋なんだ!というわけで彼女はこの気持ちを忘れないように『恋日記』を執筆していた。この切ない思いを即座に文章化できるモノでもなく、空が白んでくる頃にはペンを持ったまま眠ってしまっていたのだった。
(うふふ、でも昨日はいい文章を書けたわ。これは恋文として渡せる!)
そう思いふらふらと登校する千塚。ああッ、目の前電柱、電柱!!ぶつかるぞ、一昔前の漫画みたく!気付け千塚!
やる気満々の千塚。コブをさすりながら足早に登校してみると、其処には既に明臣が居た。しかもなぜか下駄箱前で不自然な動きをしながら!
(何で今日はこんなに早く来ているの!?いつもはHRギリギリなのに!てか私何アガッてんの!?もぉ〜こうなったら直接渡しちゃいなさいよ!ゴゥ私!)
明臣もその間不振の動きを見せていた。お互いに自分の世界に入っていたため、気付かなかったが、朝の爽やかな登校風景に2組の男女が身をくねらせていたら、誰でも引くだろう。そのことに早く気付け!千塚!
悩む?こと五分少々。先に動いたのは千塚だった。明臣に近づき、勇気を持って声を掛ける。
「あ、明臣君?」
びっくん!!
「ッッッッッッッッッッッッッ!!」
声を掛けられるや否や、明臣は恐ろしいスピードで駆けだして往ってしまった。
きょとんとする千塚。そして徐々に背筋に冷たいモノが流れ込んでいく・・
(もしかして私、避けられてる?)
愕然とする千塚。泣く泣く下駄箱を開け、靴を取り出そうとしたとき、彼女の目に一片の紙切れが映った。それには、無理して丁寧に書いた、癖のある、明臣の字で『放課後に屋上で待ってます。』と書かれていた。
ここから察すれば、明臣君はきっと私のことが好きなのだろう。と普通は思うかもしれない。しかしこれはその思考より先に彼女のトラウマのスイッチを入れてしまった。
少々話は長くなる・・
それは去年の出来事。彼女は昔、片思いだった先輩から手紙を受け取った。『好きだ!放課後に第二体育館裏に来てほしい!』との旨が彼の筆跡で書いてあった。
彼女は喜び勇んで其処へ行った。しかし其処には彼の姿はなかった。
其処には書き置きがただ一つ、
『バカ』
その一言に全てが詰まっていた。その一言が彼女に全てを創造させた。
『騙されやがったな、ザマぁ無い。お前になんか興味ない。さっさと失せろ。』
彼女はその場で静かに泣き崩れた。思考が追いつかない。現実に追いつけない、追いつきたくない。逃げたい。嘘にしてしまいたい。嘘にしたい。嘘になれ・・・・・・・
(どうしたの、立って、立つんだ千塚!此処で無様に泣いていたらあいつの思う壺よ!さぁ立って!何事もなかったかのように振る舞うの!笑って!さぁ、さぁ、さaさs・・・・)
思考とは裏腹に涙が止まらない。身体が言うことを聞かない。彼女が帰ろうとしたのはそれから一時間後、立ち直ったのは一ヶ月後だった・・
たっぷり五秒間、息が止まっていた。
明臣君ならそんなことはないそうは思っても、彼女は慎重にならざるを得なかった。いずれにせよ放課後に行く気にはなれないが、彼が本気なのか、それがどうしても知りたかった。
取り敢えず相手の出方を伺ってから、それからにしよう。彼女は一人、誰もいない下駄箱前で誓った。シュールだった。
彼のことは頭から離れなかったが、彼女は授業には集中していた。特記してはいないが、千塚はちょっとした優等生である。テストの成績は両手両足で数えられる範囲だし、身体はやや病弱だが出席率も良い。そんな彼女だから、授業に手を抜くのは本能的に無理だった。
(あ〜んもぉ!何処かで考える時間がほしいわ・・)
そして四校時目の長距離。この時間なら教員は生徒を監督するために外に出てしまう。一人きりになる良いチャンスだった。
ちょっと具合が悪いので見学します。そういうと体育教諭は「そうか。」とだけ言って休ませてくれた。優等生の役得だった。
そして授業前の出席確認。突然、明臣が千塚の方をみて
「先生!突発的に気分悪くなりました!オ、オレも見学しても良いですか!?」
(!?もしかして私が一人だから言ってくれたの?)
彼のそういう優しいところは、千塚は好きである。
「バぁカヤロウ、お前はさっきからヤル気十分だったじゃネェか!」
体育教諭のウエスタンラリアットが明臣に直撃。一同大爆笑。
・・彼のそういう面白いところも、千塚は好きである。
最悪なことに、千塚はその間眠ってしまっていた。授業中には寝ない主義の彼女だから、昨日の夜更かしはかなり堪えていたらしかった。
そして昼休み。50×4コマを乗り切った勇者である千塚にもこのひとときの安らぎを得る権利はあるのだが・・
(・・図書委員の仕事、行かなきゃ。)
・・・彼女は律儀なのである。
弁当の包みを持って、廊下に出る。眠気だろうか、足が重い・・。
「き・・霧島さん!!」
いきなり声を掛けられて千塚は想わず振り返ってしまった。しかし彼は顔を真っ赤にしたまま顔を背けて何も話さない。
その仕草から千塚は彼の心境を察した。
(ああ、明臣君は本気なんだ・・!)
猜疑心が吹っ飛び、今まで黙らせていたコイゴコロが膨らんでいく。途端に千塚は自分の頬が上気していくのを感じた。嬉しいんだけど、恥ずかしい・・
少しの沈黙のあと、明臣が先に口を開く。
「あ、あの・・!もし暇だったr」
「あぁあ!ごめん、今から図書の仕事があるからまた後で!」
恥ずかしかったという理由もある。嬉しかったこともある。それもあるんだが、何より図書の仕事、は優先だった。・・彼女は律儀なのである。
そのあとも昼休みのことでちょっとからかわれたりもしたが、何事もない、本ッ当に何事もないまま、時は流れてしまった。なんか勿体ない。
何もなかったが、千塚はその後、明臣のことをずっと思ってしまっていた。
(知らなかった、私がこんなにも明臣君のことが好きだったなんて・・嗚呼、どうにかしてこの思いを伝えたいなぁ・・でも、もしかして拒絶されたって、思われちゃったかも・・?)
そう思うと千塚はまた悩み始めた。悩み多き十七歳なのである。
そして放課後、掃除の時間。
死んだ魚のような目をしたまま、明臣はカバンを片づけ始めてしていた。
(なんか伝えなくては二日も開いちゃう、それだけは・・!)
そして明臣が教室のドアに手を掛ける。千塚は伝えたいことを、端的に言い表せるような言葉を紡いだ。
「あ、明臣君!また明日ねぇ〜〜!」
反応してくれるか、どうか・・心臓が思わずとく、とく・・と高鳴った。って思い通りに鳴ったらマズいですがね、心臓。
明臣は片手を揚げて返事をした。その仕草が、ちょっと似合わなくて、そのアンバランスさが、彼らしくて、なんだか笑えた。
千塚はそれを見送った後、箒を握りなおし、静かに掃き掃除を始めた。そんな彼女に友人たちが声を掛けてくる。
「ねぇ、千塚〜。明日、ガッコ無いよねぇ〜?今の、いったいどういう意味〜?」
「うふふ、秘密ぅ〜」
なによぉ〜と絡む彼女達を相手しながら、千塚は意味を暗唱する。
(あした、一緒にお昼飯食べよう。またいつも通りの君でいてくれると良いなぁ〜。)
昼休みの誘いの遅すぎる返事。果たして明臣はわかってくれるだろうか?それは運命だけが知っているのだろう・・彼女はこの空の何処かにいる神様に思いを馳せた。
結局、千塚は心配になって、明臣の家に電話を掛け、その旨を伝えた。危惧したとおり明臣は其処まで読めていなかった。
・・彼女は律儀なのである。