細雪 青雲
ああぁ〜無常なり、私はここで朽ちる運命なり。
私の名は「マサキ」、鯉である。
少し前までは、川の上に浮いていた。
できれば水の中で朽ちたかった……私の生まれた所で。
しかし、それはかなわなかった。
多少の意識があったが、ほとんど瀕死状態の私に仲間たちは、決断を下したのである。
「これ以上、コイヘルペスを広められない。すまない、マサキ……」
そうして、私は、地上へと押し投げられた。
今の私の機能は、視覚しか残されていない。
ここが日陰で良かった、太陽の日差しに焼け死ぬのは耐え難い。
けれど……今になっては、どうでもよいことであった。
「ぶぅーん、ぶぅーん」
む……私の身を腐らすものがいる……ハエだ。
おのれ、死んだ身にたかろうとは、私が普通の状態であれば一口で食ってやるものを。
くやしいものだ。
「ぶぅーーーん!」
突然、ハエたちが飛び去っていき、動かぬ目に人間の女の子が見えた。
「う……。……かわいそう」
哀感の目を向ける、最初の引きはなかったことにしよう。
まぁ、今じゃ骨も見えそうだし、しかたない。
「う〜ん……よし、埋めてあげよう」
その女の子は、中学生と呼ばれるに等しい年に見えた。
そして、私は彼女に心うたれた。
今まで私が死ねなかったのは……そう、きっと、ここでは死んでも死にきれないからだ。
“うめる”という行為を私は望む。
土の中で安らかに眠りたいとも思う。
「コイへスかなぁ……帰ってからまた来ることにしよっと!」
彼女は、颯爽と走り去った。
そして、私はその女の子に恋をしたのだ。
死に際に恋ぐらい、いいだろ?
私は、鯉に興味があまりない、むしろ人間に興味があった。
いつも彼らは暖かに私たちに食べ物を与えてくれる。
たまに石を投げたりするやんちゃな奴もいるが……そのときは水をかけてやる。
そうすると、彼らは、
「うわわ! や、やられたぁ!」
と笑いながら去っていく……その笑い顔が私は好きだった。
私にとっての人間はこの世で一番暖かい生き物だ。
私は人間自体が好きだった。
だから、私は純粋に恋をしたのだ。
それに私は彼女に滅されたい。
…………。
しかし、彼女が戻ることはなく……夜になり……朝へとなる。
また、ハエどもが私に群がり始めた。
きっと、彼女は用事ができたのだ。
く……ははは……。私は私がおかしくなった。
愛情を向けてもらえるとでも思ったのか?
おまえは、鯉だ。そう私は、鯉。鯉だからだ。
私は人間じゃない……鯉にそこまでする義理は人間にはない。
同時に泣きたくなった。
それもままならない、私は鯉だから泣けない……。
しかし、なぜ泣きたいと思ったのか?
私の心は人間にかなり近いと思うのだ。
もしかしたら、元は人間だったのかもしれない。
人間にあこがれ、かなわぬ思いが病気となり私にふりかかったのかもしれない。
あぁ〜、もう一度でいいから、あの女の子に会うことができたらなぁ……できたらうめてもほしい。
私は、死にきれなかった。
恨みなんてものは、ない。単に会いたいのだ、あの優しい暖かい女の子に。
一目でもこの際よかった。
私が最後に恋した方を見たいのだ。
どうしようもなくなった私は、祈りだした。
人間の祈る神というものに。
鯉の私にも縋らしてはいただけないものだろうか……。
「鯉よ、今は鯉のマサキよ。お主の心はすでに人間そのもの……早く人間になるべきだった」
私は神を見た、人間の神だ。いや……聞こえるだけだが。
「おまえは、遅すぎた。おまえはもう死んだ存在」
私は縋った。
私が人間になるべきものであったならば、一日だけでもいい、私を人間にしてくれ!
私に夢を見せては、いただけないか!
「うむ……お主は死にきれないようだ。一日だけ人間にしてやろう……それが限界だ、おまえはすでに死んでいるのだから……」
神は、偉大だった。
そして、私は地に立つ。
「ここは……?」
目を開けると、私は……私の朽ちていたところに立っていた。
ハエが一斉に飛び去ったのを見ると、さっきの出来事が瞬間だったとわかる。
私の姿は、中学生くらいの年頃の、鯉柄のTシャツを着た、男の子だった。
この年頃でよかった。
私はあの子と関われる、あの子も中学生ぐらいだった。
限られた時間内に、あの子に会わなくては。
日が落ちれば私は消えいく存在。
せっかくの神の与えてくれた人間としての時間、無駄にはできない。
私は必死に走った、走り方も知らないはずなのに自然と足は動いた。
不思議な感じだ。
神の導きか、私はすぐにその子を見つけられた。
私のいた池の向かい側の公園にその子は、いたのだ。
寂しげにブランコを“ぎぃぎぃ”と鳴らしている。
私は、話しかけてみることにした。
「どうしたの?」
自然と言葉が発しられた。
彼女は、びっくりすると、涙をぬぐい話し出した。
「え……。ん……友達とけんかしちゃったんだ」
うつむちがちにも彼女は話してくれた。
年が近いためか彼女も緊張はしていないみたいだ。
「そっか……。明日にでも仲直りすればいいよ」
彼女には、明日がある。
「そうだね……ありがとう。そうだ、気晴らしに遊んでくれない?」
うれしいお誘いだった、もちろん私は、
「うん、いいよ」
快く承諾したつもりだ。
彼女は微笑みながら私に聞いてきた。
「私は、さやか。あなたの名前は?」
「マサキ、マサキだよ」
誰にもらったのでもない、私の名を告げた。
私は、彼女の学校の話やいろいろなことを話してもらえた。私は、仲間のことを人間にして答えた、うまく伝わっているみたいだ。
お弁当ももらった。
さやかは、本当は今日、友達と出かけるはずだったらしい。
けんかがあったのは、ある意味で私には幸運なことだったのかもしれない。
いや……けっして彼女には幸運じゃないのだ、そう思うのはいけないこと。
お弁当はというと、私が今までに食べたものの中で最もおいしいもので、思わずガツガツといっぱい食べてしまった。
「あ〜、私の分がなくなっちゃうよ〜! 一人分しかないのに〜」
「ご、ごめん」
「ふふふ……」
たわいもない会話は、私には極上のもので心が暖まった。ブランコにも乗った。砂に絵も描いた。さやかが子供っぽいと言う滑り台も滑った。
私の心残りは、いつしか私の心だけになっていた。
時間は、あっという間に流れ、夕日に私たちは染まった。
お別れのときが近づいてきた。
私は、別れを告げることにした。
「そろそろ、お別れなんだ」
「まだ、大丈夫。四時だよ」
「ううん、お別れ。日が落ちたら消えちゃうんだ」
「え? 消えちゃう?」
彼女の目は、私を不思議そうに見据えていた。
「僕は、もう……死んじゃっているから」
僕と言ったのは、それが人間として正しく感じたからだ。
私の姿の少年達は、たいてい僕と言っていたから間違えてはないと思う。
「……そっか。そんじゃ、最後にプリクラ撮ろっ!」
「え!?」
意外だった、そういうものなのだろうか……人間は。
私は、勢いよく手を引っぱられ、そのまま町の中へと流れ込んだ。
「ちゃり、ちゃり、ちゃりん」
さやかが光るものを入れると、前に突然、私とさやかが現れた。
「急がなくちゃ」
さやかは、わかっているのだろうか。理解しているのだろうか。
「ほら、笑ってよ」
「え?」
「カシャ」
目まぐるしい……こんなに人間がいるところになんて来たことあるはずもないし、私は、ぐるぐる目をまわしていた。けれど、ここを見れるのも最後、目にその場の光景を焼き付けるように努めた。
プリクラを終えた私たちは、元いた公園に戻った。
日はもう線になり、今にも山に消え入りそうだ。
「はい、これ」
手渡されたのは、さっきのプリクラと言うものだ。
そこには、無表情の私とにこやかに笑うさやかがいた。
「今日の記念にね、大事にしてよ」
「うん」
私がポケットにそっとそれをしまうと、さやかが話し出した。
「けどね、うすうすわかっていたよ。マサキは突然現れた見知らぬ男の子だったのに、私には親近感が湧いたの」
それは、私が鯉だとわかったということだろうか……。
私は、別れを考えると急に胸がしめつけられた……そして、自然と涙が流れ出した。
私は……泣けるのだ。
とうとう、日は少し少しと明るさを失う。
私もまた、消えだしていた。
「あ……」
さやかは、口を押さえた。
見れば、私は透けていた……。あぁ、消えるときがきたのだ。
別れず、そこに留まりたかった。
けれど、それは……欲張りだろう。
「私!」
突然、さやかは泣き叫んだ。
「私、忘れないよ! 一日だけだったけど、この特別な日を、マサキを!! 私を励ましてくれたマサキを! 絶対、忘れない!!」
涙が止まらなかった。
人間は……なんて暖かいんだ……。
そして、私は、
「僕は、さやかが好きだ! 僕も忘れないよ!!」
思いのうちを、根心に叫んだ。
欲張りにもお願いもしてしまった。
「それと最後にお願い。僕を、鯉を、埋めてあげてね」
そして、私は消えていった。
「また、絶対来て!」
そう最後に聞こえた。
その後、私がさやかにうめられたのかはわからない。
けれどきっと、さやかは私を暖かく優しくうめてくれたと思う。
次に生まれてくるときは、人間になりたいな。
そしたら、さやかに会いに行くんだ絶対。
私の死因を神に問われることがあったら、こう答えようと思う。
私は、コイヘルペスなんかで死んでいません。
恋の病に後、幸せに死んでいったのです。
病名は「鯉による恋のヘクトパスカル」。
恋のヘクトパスカルにかかった鯉は、人間に憧れ、人間に恋をする。
幸せな病気である、訳して「恋へス」。
私が人間の意識で考えた、人間的な暖かい考え。
私は、今、安らかに鯉としての生涯を終える。
―プリクラの中の少年は、少女とともに微笑んだ―
END