現代百鬼袋 ―obakeno-hukuro―


   第一夜   舞首

 三人の博徒勝負のいさかひより
 事おこりて公にとらはれ
 皆死罪になりて
 死がいを海にながしけるに
 三人が首ひとところによりて
 口より炎をはきかけ
 たがいにいさかふこと
 昼夜やむことなし。
 
                    竹原春泉「絵本百物語 桃山人夜話」



 私の前には一本のナイフがある。
 その辺で売っているような玩具みたいなものではなく、肉厚で人の骨など容易に叩ききってしまえそうな、攻撃的なナイフだ。
 「……………これでなら、あいつも………」
 インターネットの裏サイトで購入したナイフは、暗闇の中で僅かな光を反射して私を照らし出す。
 私の心の中には、一人の女生徒が浮かんでいた。
 中学のときから仲間とつるんで私を苛め続けたあの女。
 脳裏に描かれるのは、腹からナイフを生やし、もだえ苦しむ彼女の姿。
 ナイフの刃に映った私は、凄惨な笑みを浮かべていた。



 「あー……暇だな………」
 アタシは夜の繁華街を行く当ても無くぶらぶらしていた。
 遊び歩こうにも金もなく、それは傍にいる大して仲がいいわけでもない取り巻きたちも同じだろう。
 「ったく、あの婆ぁ………ウチ追い出すなら追い出すで、金くらい寄越せってんだよな     ぁ………」
 今日もウチの母親は(アタシはあんなのが母親とは欠片も思ってはいないが)新しい男を家に連れ込んでいる。
 つまりアタシは邪魔者なわけで、実際には追い出されたわけではなく、自主的に家を出てきたわけだ。
 「金ねぇしなぁ……………金ぇ……………お」
 そのとき、アタシの目に入ったのは、見たことのない女。
 少なくとも、この辺の子ではないはずだ。
 体が悪いのだろうか、足元がおぼつかない。
 その儚げな姿は、私の目にはいいカモに映った。



 死のう。
 私は何をやってもうまくいかない。
 あれだけ勉強をがんばったのに、成績は全く伸びないし、親にも先生にも注意される。
 なれないおしゃれをしてみれば、好きな男の子には馬鹿にされる。
 分かっている。
 他の人からみれば、そんなのはたいした理由ではない。
 むしろ、こんなことで死のうと考えるなんて、馬鹿らしいんだろう。
 でも、私には、そんな些細なことでさえ、耐えられなかった。
 もともと神経が細かったのかもしれない。
 気が弱いとかねがね言われてきたことだ。
 私はふらふらと夜の繁華街を歩く。
 すると、
 「おい、あんた」
 不意に後ろから強い力で肩を引かれた。
 「悪いけどさぁ、金ねぇんだ…………ちょっと都合してくれねぇかな………?」
 私の肩を引いた人物は、私の顔を見るなりそういった。
 それは、予想に反してかわいらしい顔の少女だった。
 おそらく、私と同じくらいの歳だろう。
 私はバッグの中を探り、財布を取り出すと少女に渡した。
 「あの……あまり多くは入っていませんが……どうぞ…………」
 思えば死のうと思って出かけたのに、財布を持っているというのおかしな話だ。
 そんなとりとめもないことを考えながら、私は少女に背を向け、歩き出した。
 


 バッグの中には大事なナイフ。
 私はあの女を探して、あてもなく繁華街をうろついていた。
 よく考えれば何もこちらから探すことは無かったのではないか。
 なんなら手紙で呼び出して殺してやったほうが私の気も清々したかもしれない。
 一度引き返そうか。
 そんなことを考えているとき、視界の隅に求める影が映った。
 「!」
 慌ててそっちに首をめぐらせると、あの女が誰か知らない女から何かを受け取っている。
 知らない女はそのまま踵を返すとふらふらとどこかへ行ってしまった。
 まぁいい。
 私は密かにバッグからナイフを取り出すと、あの女が突っ立っている路地に入った。



 「……っておい。随分あっさりしてるな、あの子」
 私は手の中の財布を見た。
 「うお、けっこう入ってるな」
 なんか妙な子だったけど、まぁこれだけあれば遊ぶのには事足りる。
 さて、どこにいこうかと振り返ろうとしたとき、聞きなれた声がアタシを呼んだ。
 「―――笹倉ぁっ!!」
 驚いて声のほうをみれば、そこに立っていたのは、
 「……んだよ、御頭(みしるべ)かよ………。何の用だ、てめぇ」
 それは同じクラスの御頭だった。
 何かにつけてむかつく奴だ。
 まさか、カツ上げを見かねて注意しにきたわけじゃないだろう。
 「何の用だっつってんだろ。昨日あんなに殴られたのに、まだ殴られたりねぇのか?」
 「―――ね」
 不意に御頭が何かをつぶやいた。
 「あ?何だって?」
 
 「―――死ねって言ったんだよ!!」

 突然振り上げた御頭の手には、禍々しいナイフが握られていた。



 私は路地裏の雑居ビルの屋上にいた。
 ビルは五階建てで、使われているのは一階だけのようだ。
 「ここから飛び降りれば、死ねるよね………」
 私の独り言は夜風に吹かれ霧散する。
 なぜここを選んだかといえば、このあたりに四階建て以上の建物はここしかなかったからだ。
 どうせ死ぬなら凄惨な死を迎えたい。
 昔誰かに聴いた言葉が、頭に浮かぶ。
 「……四階以上の高さから飛び降りれば、地面にぶつかったとき地面にへばりつくくらいの衝撃があるんだってね………ふふふ」
 私は一人笑った。
 いいじゃない、私が生きていたって証拠を、この大地に刻みつけてあげるよ。
 真っ赤な真っ赤な、標として。
 私は、フェンスを乗り越え、屋上の一番端に足をかけた。
 そして、

 私は、虚空へと、解放へと、一歩を踏み出した。




 「待てぇ!!」
 私は、あの女を追いかける。
 必死に逃げるあいつを見ていると、えもいわれぬ愉悦感が沸き起こってくる。
 どうだ、立場が完全に逆だ。
 今まで私が受けた以上の苦しみを与えてやる。
 
 曲がり角を曲がると、そこはすぐに袋小路だった。
 「ふふ……もう逃がさない。お前は私に殺されるんだ………」
 私は私に背を向けたあいつにゆっくりと近づく。
 一歩、二歩、ゆっくりと、ゆっくりと。
 そしてもう半歩のところまできたとき、私はゆっくりと手にしたナイフを振り上げ。
 あいつの背中に、思い切り突きたてようとして。
 次の瞬間、不意に振り向いたあの女の腕が、私の喉を捉えた。
 否。
 正確には、あの女の握ったナイフが、だ。
 「っが…………!」
 「やっぱ馬鹿だわ、手前、私が何も持ってないとでも思ってた?」
 そんな嘲笑交じりの声を最後に、私の意識は暗い暗い闇の中に、落ち込んでいった。



 「ったく…………これって正当防衛になるかな……なるよな……」
 アタシは地面に倒れた間抜けな同級生を見下ろした。
 彼女の手には逆手に握られたナイフが、刃を上に、月光を反射していた。
 「まったく……手前みたいな奴が、こんなもんに手ぇ出すんじゃねぇっての………」
 彼女の手からそのナイフを取り上げようとして前かがみになったとき。

 アタシの背中に、とてつもない衝撃が走った。



 一瞬の後。
 アタシの目に映ったのは、地面にくず折れた三つの体。
 少なくとも私には三つに見えた。
 一つはさっきアタシが返り討ちにした御頭の体。
 もう二つは…………。
 折り重なるようにして倒れた二つの体には、両方とも、首が無かった。
 アタシは視線をめぐらせ、あたりを探す。
 一つは、すぐに見つかった。
 地面にこすられ、半分磨り減っているような、グロテスクな生首が、アタシのすぐ傍に落ちていた。
 もう一つは、どこだろう……………。
 そのとき、アタシは気が付いた。
 気づいて、しまった。
 下敷きになっているほうの体。
 
それが、アタシの体だということに。




 次の日、なぞの死体は新聞の一面を飾った。
 おそらく、誰にも分かるまい。
 複雑な因果の果てに、三人の娘が互いの首を落としあった理屈など。
 一人は、殺そうとした相手に首を刺され。
 一人は空から降ってきた一人に押し倒され、偶然にもナイフの上に倒れこみ。
 もう一人は、下に思わぬクッションがあったために首に不自然な力がかかって。

 後日、繁華街を歩く若者の間に、不思議な噂が流れるようになった。
 曰く、三人の少女が、否、三つの少女の首が、夜な夜な路地裏で口喧嘩をするという。
 さながら、その昔互いの首を落としあい、海中にて妖怪となった三人の悪党――又重、悪五郎、小三太――のようではないか。
 ただここにあるのは潮騒と巴の渦ではなく、若者たちの喧騒と、その裏にある巴の恨み辛みだけだった。