現代百鬼袋 ―obakeno-hukuro―


   第四夜   琵琶牧々

 玄上牧馬と言へる琵琶はいにしへの名器にして、ふしぎたびたびありければ、そのぼく馬のびはの転にして、ぼくぼくと言ふにやと、夢のうちにおもひぬ。
                          鳥山石燕  「百器徒然袋 中」

 近頃メディアの間でも取りざたされる「the GEN-JOWS」というバンドを知っているだろうか?
 僕がこのバンドに出会ったのは半年ほど前。
 芸能事務所に入社した僕は、このバンドのギター担当である有紗のマネージャーとなった。
 まだまだ青いとはいえ人気も出始めているバンドのリーダーに新入社員をマネージャーとしてあてがうというのはどういうことかという意見もあるだろうが、そこにはある特異な理由がある。

 「the GEN-JO WS」のメンバーは皆身体に障害を負っているのだ。

 障害の質は五人のメンバーでそれぞれだが、有紗の場合は目が見えなかった。
 もっとも、彼女の毅然とした立ち居振る舞いは、彼女が障害を負っているなど欠片も感じさせない。
 彼らは普通の仕事もするが、それ以外にも各地の養護学校や盲聾学校などを回って無償でライブなどをしている。
 自分たちと同じ境遇の子どもたちに、少しでも音楽の良さを知ってほしいから、というリーダーの願いから始まった企画は、今では全国からひっぱりだこの人気だ。



 「飯田さんは、何か夢ってある?」
 移動のバスの中、有紗は唐突にそう言い出した。
 「え?夢?」
 「そう、夢」
 僕は、しばらく考えた。
 「うーん………別に今の仕事に不満があるってわけじゃなかったけど、そうだな。僕は子どものころ、ミュージシャンになりたかった」
 「へぇ」
 有紗は意外そうに眉を上げた。
 「どうしてあきらめちゃったの?」
 「どうしてって………まぁそうだな。そのころ付き合ってた女の子がさ、嫌に現実的な奴でさ。そんな将来の見えない仕事なんてろくなものじゃない、なんて言われちゃって。で、そう言われちゃうとなんか言い返せなくって………。今はもう別れちゃったけどさ」
 僕は苦笑した。
 「まぁそんな一言で諦めちゃうようじゃどっちみち大した夢じゃなかったんだろうけど」
 すると有紗は以外にも悲しそうな顔をした。
 「うーん……その女の子は分かってないよ」
 「え?」
 「飯田さんも分かってない。どうして説得してみようと思わなかったの?私たちみたいに音楽ってやつを分かってもらおうとしなかったの?何もせずに放棄するなんてずるいよ。それに―――」
 不意に彼女は隣に座る僕の手をとった。
 「飯田くんだってあきらめてないじゃない」
 目の見えない彼女にも、僕の諦めきれない夢はしっかり見えている。
 僕の手の指には、今もしっかり残っている。
 「ギターを弾いてる指………好きだな」
 「え」
 「なんて………」
 微笑む彼女に、僕はそっぽを向いて腐った。



 思えばそれは恋だったのかもしれない。
 笑ってしまう話だ。
 片や売出し中アーティスト、片やそのマネージャー。
 別に世間的にどうとかいうことではないが、僕はこのとき、彼女にこの想いは伝えるま いと誓った。
 彼女が僕をどう思っているか分からないし、それより自分の気持ちに自信が持てなかった。
 そんな半端で彼女に挑んだら、きっとこれからの彼女に失礼だ、と思った。
 結局、そんな僕の優柔不断が、一生の後悔を生むことになる。



 僕がその知らせを受けたのは、出社した直後だった。
 ちょうど有紗のアパートに彼女を迎えにいこうとしていた矢先のこと、オフィスの電話が鳴った。
 手近にいた社員が応対するのを見るともなしに見ていると、なんだか様子がおかしい。
 そのうち、電話を置いた社員は俺を振り返ると言った。

 「大変だ、有紗の…有紗のアパートが火事だ!」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。
 なんだって、火事?
 どこが?
 有紗……有紗のアパートが?
 有紗……有紗!
 
 次の瞬間、僕はオフィスを飛び出していた。



 「…………般………密………観自……薩………」
 枯れ枝のような僧侶が単調なリズムで念仏を唱える。
 信心の無い僕には宗派だとかそういうものは分からないが、それ以前に僕自身が、そんなことにかまっていられる心境ではなかった。

 すっかり灰になってしまった有紗のアパート。
 彼女の部屋もまた文字通り灰燼に帰してしまった。
 残ったのは、元が何だったのかわからないような品々と。
 これまた元がどうだったのかも分からない、変わり果てた姿の有紗だった。

葬儀の席の中、こそこそと話す声が周囲から聞こえてくる。
―――やっぱり、あれかな……。
 ―――あぁ、目ぇ見えなかったから?
 ―――逃げ遅れちゃったんだよ。
 悪気の無い言葉なのだろうが、その言葉の一つ一つが僕の心を苦しめる。
 ――僕が就いていたら………。
 そんな思いが頭をかすめる。
 そんなことを言っても、僕が彼女の傍に四六時中いるということはないのだから、考えるだけ無駄なのだろう。
 しかし、この心にたまった澱は、どうしても抜けそうになかった。



 帰り道。
 僕は彼女の奏でる曲が入ったMDを聴きながら、夜の道を歩く。
 ふと、「the GEN-JOWS」はこれからどうなるのかな、などという考えが頭をよぎった。
 ギタリストを欠いて、このままアーティスト活動を続けるのか。
 少し気になったが、あまり考えたくなかった。
 アパートに帰り着いた僕は、自分の部屋の鍵を開ける。
 そして、凍りついた。

 玄関に、一台のギターが立てかけてあった。

 そのアコースティックギターには、見覚えがあった。
 前に、彼女が見せてくれた。
 自分がギターを始めたばかりのときに買ってもらったものらしい。
 僕は、そのギターを手に取った。
 間違いない、彼女のものだ。
 なぜ、ここにあるのか。
 「………預かっておけ、ってことなのか?有紗…………」



 ギターは部屋の隅に立てておいた。
 なんとなく、彼女が見守ってくれているようで。
 彼女を独占しているようで。
 不謹慎ながら、少しだけ、嬉しかった。

 どうやら、「the GEN-JOWS」は活動を続けるらしい。
 今度オーディションをするらしいが、聴いたところによると、応募者の多くはハンディキャップを背負った人たちらしい。
 だとすれば、彼女の死も、無駄ではなかったのだろう。
 彼女は、彼女と同じ境遇の人々に、希望を与えたのだ。



 ある日、仕事から帰った僕が、風呂から上がってくると、部屋の隅に鎮座するギターがない。
 僕は慌てた。
 勝手に僕の部屋にやってきたと思ったら、勝手にどこかに行ってしまった。
 しかしまた、そんなところも自由奔放な彼女らしいかな、などと思って、僕はクスリと笑った。
 と、

開け放った窓から吹き込む風にのって、メロディーが聞こえてきた。

 聴いたことのあるメロディーだ。
 そう、確かこれは、彼女が自分たちのナンバーでとりわけ気に入ってよく口ずさんでいた曲。
 
   好きなことがあるなら とまっていないですすんでいこう
   好きなひとがいるなら まよっていないではなしかけよう
   わたしができなかったことは
   あなたならできるはず
   私が後悔したことを
   あなたには悔やんでほしくない

 「going my way 道無き道を open the cloud day 切り開きすすめ…………」
 口ずさむ唄は、僕が唄ったものか、それとも彼女が唄ったものか。
 
屋根の上の盲目のギタリストは、今も唄を届け続ける。
 希望を失った人のため。
 道を失った、僕のため。