現代百鬼袋 ―obakeno-hukuro―


   第八夜 赤ゑいの魚

 この魚身の尺三里に余れり。
 背に砂たまればをとさんと海上にうかべり。
 其時船人嶋なりと思ひ舟を寄れば水底にしづめり。
 然る時は浪あらくして舟是が為に破らる。
 大海に多し。
                      竹原春泉 「絵本百物語 桃山人夜話」



 俺は、世に言う「結婚詐欺師」というやつを生業にしている。
 仕事を失ってどうしようもなかったときに不意に思いついた仕事だが、どうしてなかなかうまくいった。
 もともとルックスにも自信がある。
 俺のつたない喋りでも、ころりとだまされる女は少なくない。
 こうしてだました女の数は、そろそろ二桁になろうとしていた。



 さて、今日も俺は一人の女と会うことになっている。
 女の名前は『紫(し)香(が)楽(らき)・遙(はるか)』、二十七歳の会社員だ。
 いわゆるキャリアウーマンというやつで、父親も弁護士と、家もわりと富貴だ。
 一人娘ということもあって、親の可愛がりようは凄いものらしく、彼女の言葉の端々にも親の教育がにじみ出ている。

 しかし、そんな「女としてのステータス」など、俺にとっては所詮ただの「だましやすさの目安」でしかない。
 彼女と接触をもってから一ヶ月ほどがたつ。
 その間にも、彼女がどれだけ世間知らずかということは、手に取るように分かっていた。
 いかんせん、ものを知らない。
 これが普通の男なら、「守ってあげたい女」とでも見て、手取り足取りリードするのだろう。
 しかし、俺はリードこそすれ、「守ってあげたい」などとは欠片も思ってはいない。
 俺の頭にあるのはあくまで、
 「いかにして俺に心を許させるか」
 である。
 まぁ結論から言えば、その段階はとうにクリアしている。
 ちなみに俺の素性は「大手証券会社の若手部長」ということにしている。
 そのほうが、弁護士などという頭の固そうな親父さんをだますのにも都合がいいかと思ったのだ。
 そして今日、俺は一勝負打つ腹積もりをしている。



 約束の場所にはすでに遙が来ていた。
 「あ、修一クン。もぅ〜遅いよ」
 彼女はしかし嬉しそうに、俺に駆け寄ってきた。
 「ごめん、待たせちゃって」
 飛び切りの『営業スマイル』で軽く抱きしめる。
 これも俺の営業作法の一つだ。
 「えへへ……いいよ、別に」
 ――何が「えへへ」だ。こんな緩いくせにキャリアウーマン気取ってやがる。
 心中でそう思いつつ蓋をして、俺は申し訳なさげな顔をする。
 「いや、ほんとごめん。お詫びに今日は奢るからさ」
 彼女はどちらかというとセレブな性質なので、自分のほうから奢りだす傾向にある。
 そこを計算づくで下手にでる。
 「いつも出してもらっちゃってるしさ。それに、今日は……遙の誕生日だろ?」
 そしてここで「エース」を切る。
 大富豪を大貧民に蹴落とすには、まだ「ジョーカー」を切るのは早い。
 「お店、予約してあるんだ。よかったら…………どう?」
 そしてさりげなく手をとる。
 彼女は俺の心中など全く知らず、幸せ一杯というような表情を見せた。



 予約したホテルの最上階レストラン。
 そこで俺たちは食事をした。
 食後にグラスワインを挟んで、俺は彼女に切り出す。
 「あのさ………実は、話があるんだ………」
 次は、「2」の札を切るところだ。
 俺は、ポケットから小さな箱を取り出した。
 「俺と………結婚してくれ」
 演出は完璧。
 俺は勝利を確信した。
 「え……ほ、ホントに……?」
 見る間に彼女の瞳には涙が溢れ出す。
 まったく、単純な女だ。
 「俺、遙とならうまくやっていける。……いや、遙とじゃないと………」
 我ながら反吐が出るような台詞だ。
 そして、ここで俺は沈痛な表情になる。
 「……でも、ごめん、実は、黙ってたことがある」
 「―――え?」
 「実はさ、俺の母さん………入院しているんだ」
 なんともまたありきたりな口実だろう。
 これでひっかかる女の気が知れない。
 否、「気が知れている」からこそこんな商売が成り立つのだが。
 「それで………その病気……手術が必要らしいんだけど………俺の家は貧乏だから……金なんか出せないし………もうほとんど諦めてるんだ………でも、ここで結婚したりし たら、遙にも迷惑が掛かるし………」
 「大丈夫だよ」
 遙は、見事に「食いついた」。
 俺が落とした「2」に、彼女は「ジョーカー」を落としてしまったのだ。
 たった二人きりの大富豪で、「ジョーカー」を出してしまった。
 さあ、これで彼女の手の内は知れた。
 あとは、じわじわと「大貧民」へと蹴落とすだけ。
 「それっていくらくらい掛かるの?」
 「二百万………くらいだって……」
 「それくらいなら、私が出すよ。だって、ほら、私の義母さんになる人だよ?」
 ほう、義母さん、か。
 俺の母親は俺が子どものころにすでに他界している。
 俺は心の奥底で遙をあざ笑いながら、しかし顔では目に涙を溜めて遙の手を握る。
 「外面似菩薩内面如夜叉」という言葉が頭を掠めた。
 「あ……ありがとう……遙。俺、遙と出会えて……幸せだよ………」
 遙は俺の涙にもらいなきをしている。
 そして俺は、笑い出したい気持ちを抑えるので精一杯だった。



 次の日の午後、俺は高速道路を車で飛ばしていた。
 助手席にいるのは遙ではなく、二百万の入った封筒。
 遙から金を受け取った俺は、再三お礼を言い、
 「じゃあ、俺今から病院に行ってくる」
 といって彼女と別れた。
 彼女が「付いていく」というのを、
 「母さんが元気になって、そうしたら二人で驚かせに行こう」
 と適当なことを言ってあしらい、俺は念願の札束と愛の逃避行、というわけだ。
 しかしぼさっとしてる暇はない。
 明日は県を三つ跨いだところで別の女に会わなければならないのだ。
 「結婚詐欺師」というのも存外らくではない。
 「くくくく…………」
 自然と沸いてくる笑いをかみ殺し、俺は次の女を潰しに行く。



 数日後。
 俺はホテルのベッドでテレビを見ていた。
 隣では次の「商売相手」が寝息をたてている。
 しかし俺はそんなものには目も向けず、テレビの画面に見入っていた。
 ―――都内在住の会社員、紫香楽・遙さん二十七歳が、今日午後六時ころ都内のビルから飛び降り自殺をしました。遙さんは即死。自宅から遺書が発見されており、そこには、『信じていた男に裏切られた』等の記述があります。
 遙だ。
 自殺しただと?
 今まで結構な数の女をだましてきたが、さすがに自殺した女は初めてで、俺は少し動揺した。
 ここにきて俺は自分のしてきたことの重さを少しばかり、意識した。
 ベッドの脇に置いてあるカバンの中の封筒を意識して、俺は僅かに身震いした。
 しかしそんな思いなど長くも続かず、数日の内に、俺の中で遙は過去の「商売相手」として埋没していった。



 俺は女をだますとき、幼いときに読んだ「船乗りシンドバッドの冒険」を思い出す。
 あれには、島のように大きな魚が出ていた。
 島だと思って上陸すると、突然沈んでしまう。
 俺はその怪魚を自分になぞらえていた。
 女たちが安心しきっているとき、不意に彼女たちの思惑を裏切る。
 彼女たちはさながら、海に投げ出されたシンドバッドのような気分であろう。

 俺は一人の女を伴って、エレベーターに乗る。
 先に女をエレベーターに乗せ、後から乗り込んだ俺は最上階のボタンを押した。
 「ここの最上階のレストランから見る夜景は、すごく綺麗なんだ」
 そんな説明をしながら。
 さぁ、今日も駒音高く、ビショップがクィーンを打ち倒す。
 エレベーターの表示が上がるにつれ、俺の鼓動も興奮に高鳴る。
 そして、やがてエレベーターの扉が開いた。
 赤い絨毯、静かなざわめき。
 一流の空気、とでも言うのだろうか。
 生涯「三流」の俺には分からないが。
 彼女の手を取って、赤い絨毯に足をおろした瞬間。

 俺の体は空中に投げ出されていた。

 一瞬、何が起きたのか分からなかった。
遥か下にはホテルの屋上。
 虚空に浮かぶエレベーターの箱の中には、一人の女。
 「…………………!」
 それは、遙だった。
 彼女は、俺を見て、ニィ、と笑う。
 いつもの無邪気な笑みではなく、ひどくいやらしい、笑みだった。
 俺は、あぁ、と思う。
 ―――俺は怪魚などではなかった。シンドバッドだとばかり思っていた女こそが怪魚で、俺は大海に投げ出されるシンドバッドに過ぎなかったのだ。
 現にどうだ、俺が踏み出した「一流」の世界は、ただの虚空でしかなかった。
 シンドバッドだってそこまで馬鹿ではないだろう。
 あぁ、俺はどこまでいっても、何を気取っても、俺がだましてきた女たちには遠く及ばないのだ………………………………………………………………………………………………………………………………。