現代百鬼袋 ―obakeno-hukuro―
第九夜 大座頭(おおざとう)
大座頭はやれたる袴を穿、足に木履をつけ、手に杖をつきて、風雨の夜ごとに大道を徘徊す。ある人これに問ひて曰、いづくんかゆく。答ていはく、いつも娼家に三弦を弄すと。
鳥山石燕 「今昔百鬼拾遺 霧」
私は生まれつき目が見えない。
それをコンプレックスにしたことはないし、別段恥ずべきことではないと声を大にして言える。
もし、世間が冷たい目や同情や哀れみを込めた目で見るのだとしたら、それは間違っていることだし、それを私が気負うことはない。
もしかしたら、そう思うこと自体が、私の負い目なのかもしれないけれど。
小さいころの私には、強い味方がいた。
私には決して見えない、でも大きな存在感を持った背中。
耳の奥まで染みこんでくる渋い声。
触っただけでわかる細くて綺麗な、でも力強い指。
その指が作り出す、綺麗なギターの音色。
暖かい愛情。
私のお父さんは、そんな人だった。
お父さんはいつも私を守ってくれた。
私が近所の子どもたちにいじめられていたときも、お父さんはすぐに飛んできて、私をいじめていた子どもたちに拳骨を落とした。
「弱いもの虐めは弱いやつがすることだ!」
そういってお父さんがひどく怒っていたことを覚えている。
その後お母さんが、お父さんが拳骨を落とした子どもたちの家に謝りに行ったというのは、長じてから聴いた話だ。
こんな風に、お父さんは私にとってのヒーローだった。
でも私は目が見えないから、そのヒーローの素顔を見ることができない。
お父さんはお父さんである以上に、仮面のヒーローなのだ。
私がギターを始めたのは中学生のとき。
お父さんの影響だった。
目の見えない私が自分から何かを始めようとしたのは考えてみればこれが初めてで、お父さんもお母さんも、とても喜んでくれたのを覚えている。
アコースティックなんか家に何台もあるのに、お父さんは私のために新しいものを買ってくれた。
今でも、それは私の宝物だ。
お父さんは手取り足取り、私にギターを教えてくれた。
手を支えてコードを教え。
私はすぐに簡単な曲を弾くことができるようになった。
お父さんは、とても嬉しそうだった。
そんなある日、お父さんが事故で死んだ。
お母さんも私も、大層落ち込んだ。
否、落ち込んだなんてものではなかったはずだ。
一時期は、食事も喉を通らなかったくらいだった。
しかし、それからというもの、私の見えないはずの目は、しばしば大きな人影を捕らえるようになった。
それはいつも一瞬で、強いて言えば、存在しないはずの視界の隅を横切るような感じだろうか。
その姿はとても大きく、巨人のようだった。
その人は、背中にギターを背負っている。
いつしか私は、その人影を、お父さんだと信じるようになっていた。
それからしばらくして、私は私と同じ障害者たちでバンドを組んだ。
何の因果か、そのバンド「the GEN-JOWS」はプロデビューすることとなる。
プロとして音楽をやっていく、ギターをやっていくことは、お父さんの若いころの夢でもあった。
デビューが決まったとき、私は天国のお父さんに、いつも傍にいるあの大きなお父さんに、自慢したい気分で一杯だった。
お父さんの姿も、いつになく嬉しそうに見えた。
「へぇ……それで有紗はそんなに頑張っているんだ」
私の昔話を聴いたマネージャーの飯田さんは、興味深そうな声を出した。
「今でも、そのお父さんの姿は見えているの?」
「うーん…最近はあんまり見えなくなっちゃったんだよね……。やっぱり、大人になっちゃったからかな…?」
飯田さんは、優しい人だ。
私の荒唐無稽な話も親身になって聴いてくれる。
私はそんな飯田さんに好意を抱いている。
「でも、寂しくないよ。お父さんはいつも私を見守ってくれているんだからさ」
私はそう言って笑ってみせた。
ある日、私は息苦しさで目が覚めた。
喉がいがらっぽい。
起き上がってみると、部屋の中が焦げ臭いにおいに満ちていた。
「火事だ!」
とっさに、私はそう思った。
無我夢中で逃げ出そうとしたが、ベッドの周りは既に火の海になっているらしく、チリチリと頬が熱を受ける感覚がある。
私はどうしようもなく、ただ呆然とベッドの上にへたり込んでしまった。
「死ぬのかな………」
そんな考えが頭を過ぎる。
ふと、視界の端を何かが横切る感覚。
そちらは、大きな窓がある方向だった。
二階にあるこの部屋の窓の外、大きなお父さんがこちらに向かって手を伸ばしている。
また、会うことができた。
「お父さん………」
私は一杯に手を伸ばし、お父さんの手を掴んだ。
どことも知れぬ夜空の下。
誰とも知れぬ屋根の上。
私は一人、ギターをかき鳴らす。
傍には大きなお父さん。
嬉しそうに私の音楽を聴いてくれる。
私は一人、ギターをかき鳴らす。
デビューしてからというもの、お父さんの代わりに、親身に私の世話をしてくれたあの人を想い。
思えば、私は彼にお父さんの面影を重ねていたのかもしれない。
可笑しい話だ、私はお父さんの顔を見たこともないというのに。
隣にいるお父さんだって、私の想像かもしれないというのに。
それでも、私は、唄を歌う。
「going my way 道無き道を open the cloud
day 切り開き進め」