突発性競作企画in rain... 参加作品

                            SiRaNuI 作


 僕は、紙袋を脇に抱えた。
 急に降ってきた雨は、否が応でも僕に走る事を強要する。
 なんてこった。にわか雨に遭うなんて、本当についてない。
 卸したての背広は雨粒をよく弾いた。
 だが、背広と違って使い古された僕の頭髪は、大いに雨を歓迎し、濡れた束が顔にへばりついてくる。
 本当に嫌になる。
 革靴の中まで雨が進入してきたらしい、靴下に冷たい違和感が感じられる。
 その違和感は走るごとに強くなり、仕舞いには「ピチャピチャ」と音を立て始めた。
 僕は走るしかなかった。
 何処か雨宿りできる場所は!
 だが、ここは閑静な住宅街。
 ガレージや、軒のある家が目立つも、まさか人の家に侵入することなんてできない。
 僕は走るしかなかった。

 *

 住宅街を抜けて、木々の生い茂る道に出る。
 もっと晴れている時に訪れれば、実に綺麗な並木道だったであろう。
 しかし今は、枯れて傘の役目を果たさないこの木々が憎たらしい。
 本当に唐突だった。
 ついさっきまで、あまりにも快晴でビックリしていたのに、今度はこの天気の変換具合にビックリだ。
 僕は、走るしかなかった。
 とうとう、雨の浸食は背広を抜けてYシャツにまで及んでいた。
 濡れたYシャツがべっとりと肌に張り付き、走り、体を曲げるたびに、その冷たい感触が僕の肌を襲う。
 ああ、早く帰って熱いシャワーが浴びたい!
 だが、そんな希望も虚し。

 *

 暫く走って、とうとう一軒のタバコ屋を見つけた。
 外装のペンキは剥げ、看板にはかろうじて読み取れる「タバコ」の文字。
 軒下の裸電球が淡く光っている。
 黄色いビニールの萎れた軒先が、今では楽園に見える。
 僕はそこに向う。
 だが、そこには先客が居た。
 青いYシャツに、チェックのズボンを履いた若い男だった。
 どうやらこの男も雨にやられたらしい。
 肩から胸にかけてびっしょりと濡れていた。
 その男はポケットに手を突っ込みながら、タバコの自販機の横で、この急な雨空を眺めていた。
 僕は、一直線にその軒先へ飛び込んだ。
 走りすぎたせいか、息が切れる。
 肩で息をしながら膝に手をつき、呼吸を整える。
 ちらっと、男がこっちを向いた気がしたので、僕は反射的に顔を逸らしてしまった。
 雨の濡れ方は、僕の方が断然派手。
 気後れして、僕はポケットからハンカチを抜き取り、とりあえず顔に当てた。
 うっぷ!
 今のは声に出てしまったかもしれない。
 ズボンまで完全に雨が浸透していた。もちろんのこと、ポケットに入れたハンカチは水浸しだった。
 僕はハンカチを絞った。
 大量の水を放出した後、どうにか顔の水分を拭える程度の状態になった。
 冷たいのを我慢して顔を拭う。
 完全ではないが、まだまともの方だ。
 左手を握り締めて紙袋を見た。
 もう完全に表装の印刷は流れてしまっている。
 中身も心配だ。
 かろうじて読み取れる文字は「上谷製菓」。
 地元では結構有名な和菓子屋で、おそらくこの包装は煎餅だろう。
 ああ、もう湿気って食べられないかもしれない。
 本当に虚しくなる。
 今日は踏んだり蹴ったりの一日だ。
 空を見上げた。
 そこは雨空。
 あれ?
 そこで気付いた。
 空からは大量の雨粒。
 でも、東の空には、満月が輝いていた。
 変な空だ。
 
 急に背筋が寒くなった。
 「はっくしょん!」
 大きなくしゃみが一つ。
 僕は歯を鳴らした。さすがに冷えてきた。残暑も消えたこの季節、ずぶ濡れきつい。
 
 「大丈夫ですか?」

 隣の男が声をかけてきた。
 「ああ、はい。スイマセン。大丈夫です。」
 僕は苦笑いを浮かべた。
 その男も少し笑って。
 「お互い災難ですね。」
 と言った。
 「本当ですよ。」
 僕は笑った。
 
 *

 よく見ると、その男も何を持っていた。
 どうやら紙袋のようだ。
 しかも、その柄に何か見覚えがあった。
 ふと、自分の手提げ袋を見た。
 「あ、もしかして上谷製菓ですか?」
 その一言が意外だったのか、男は僕のことを驚いた様子で見た。
 その視線がゆっくり僕の持つ紙袋へと移る。
 「あれ?もしかしてあなたもですか?」
 「いや〜。実はそうなんですよ。さっきお見合いしてきまして、お土産なんです。」
 僕は笑いながら頭の後ろに手を回した。
 「お見合いですか。」
 「ええ、もう不本意なんですけどね、親が五月蝿いもんで。」
 「ああ、分かります分かります。実は私もこれからなんですよ。」
 男は苦笑いを浮かべた。
 「え!?お見合いですか?」
 「いや、と言うか祝儀なんです。」
 「マジですか?おめでとうございます。」
 「いえいえ、これがめでたくないんですよ。もう、小さい頃からの仲なんですけど、親が勝手に決めた許婚ってやつでして。こっちはそんな風に見たこと無いんですけど。」
 「はぁ、そんな漫画みたいなことあるんですね。……あ!スイマセン。」
 「いや、いいんですよ。全くその通りなんで。まあ、幸せじゃないと言えば嘘ですけどね。」
 「それだと大変でしょう、これから。」
 「ええ、まあ、折り合いつけてくしかないですよね。お互い知らない仲じゃないってのが唯一の救いです。」
 「いや、僕もそうなんですよ。お見合いと言っても初めてじゃなくてですね。もう、親は彼女と結婚させる気満々なんですよ。」
 「他に恋人とかっていらっしゃらなんですか?」
 「はは、居たら苦労しませんよ。」
 「そんな、お兄さん、もてそうじゃないですか。」
 「いやいや。それに、もう『お兄さん』なんて歳でもないですよ。」
 「あれ?お幾つなんですか?」
 「もう今年で38です。」
 「え!?いやあ、もっと若く見えるなあ。」
 「またまた、よして下さいよ。」
 二人して笑った。
 なぜこんな見ず知らずの男性とここまで打ち解けられるのか、とても不思議な感覚だった。
 同じ立場にあると言うだけではない。
 何だか、お互いに小さい頃から見知っているような、そんあ感覚までもが生まれてくるのだ。
 「しかし、止みませんね。」
 「そうですねえ。でも、そろそろ時間なんで、もう止むでしょう。」
 「?」
 この男は不思議な事を言う。
 「……ああ、それもそうですね。東の空は晴れてるみたいですし。」
 しばし沈黙。
 雨音だけが、僕らの沈黙を取り持ってくれる。
 「しかしあれですね。」
 僕は沈黙に耐え切れず言葉を発する。
 「何かトトロみたいですね。」
 「トトロですか?」
 男は不思議そうな声を上げた。
 「ええ。ほら、メイとサツキが雨の中お父さんをバス停に迎えにいって、そこでトトロと会う場面ですよ。なんかあれっぽくないですか?」
 「ああ、なるほど。お兄さん面白いこと言いますね。」
 「だから『お兄さん』はやめて下さいって。」
 ははは、と笑う。
 「そういえば、あなたはどうするんですか?ご祝儀でしょう?」
 「ええまあ、迎えの車を呼んだんで大丈夫ですよ。それよりお兄さんは?」
 もう、『お兄さん』に反論する事をやめた。
 「僕は大丈夫ですよ。もう後は帰るだけですから。」
 「早く帰らないと風邪を引かれたら大変ですね。」
 「帰ったら速攻で熱いシャワーですね。」
 「トトロは祝儀をすっぽかしたいです。」
 「あれ、そっちがトトロですか?」
 「ほら、車呼びましたし。」
 「ネコバスですか?」
 「ネコバスです。」
 愉快だと思った。
 この男と話していると、とても愉快だと思った。
 これなら、今日と言う一日も、満更捨てたものでもない、
 と思った。

 *

 雨が降る。
 僕らはタバコ屋の軒先で他愛の無い世間話を繰り広げている。
 すると、不意に男は軒先から上半身を出し、雨の降る宵闇の先を見つめた。
 「あ、どういやら迎えが来たみたいです。」
 男は笑顔で言った。
 「そうですか。いやあ、今日は面白かったです。」
 「本当ですね。私も、こんなに喋ったのは久しぶりですよ。これでも結構寡黙な方なんですよ?」
 「またまた。」
 「いやあ、参ったなあ。」
 もはや二人は知り合い以上の友達になっていたと、僕は思っている。
 「でも、本当に奇跡的な出会いでしたね。」
 「本当に嬉しかったですよ。お兄さんに会えて。」
 「いや、感謝するのはこっちの方ですよ。スイマセン、半分愚痴っぽく話しちゃって。」
 「いやいや本当に『奇跡的』ですよ。ほら、トトロはめったに人前に姿を見せないじゃないですか。」
 「あはは、そうですね。」
 ふと、外を見た。
 宵闇のむこうから淡い光がこちらに近づいてくる。
 だけど、車にしてはやけに遅くないか?
 そのスピードは本当にゆっくりだった。
 人が歩くほどのスピードでその光はこちらに近づいてきた。
 僕は目を細めてじっとその光を見詰めた。
 そしてはっとした。
 その光は、自動車のヘッドライトでもなんでもない。
 
 なんとそれは提灯だ。

 白い張り紙の提灯の光がこちらに近づいてくるのだ。
 しかも、その提灯が吊るされている乗り物は籠だった。
 そう、時代劇でよく見るあれだ。
 お代官様や役所の偉い人を乗せる乗り物。
 二本の梁に吊るされた屋根付の箱。
日本古来のその乗り物は一直線にこちらに向ってくる。
 
 「車ってあれですか?」
 僕は目をまん丸に開けて男に聞いた。
 「ええ、そうですよ。」
 男はけろっとした様子で答えた。
 籠が近づいてくる。
 その光景も異様だが、その二人の担ぎ手は更に異様だった。
 小学生ぐらいの身長で、これこそまさに江戸時代の庶民風の藍色の着物という格好をしていて、頭には頭巾をかぶり雨に濡れながら歩いているのだ。
 籠が目の前に到着する。
 担ぎ手は籠を地面に下ろす。
 
 『御待たせしました。』
 
 そう言って担ぎ手は頭巾をとる。
 僕は仰天した。
 その頭巾の下の顔は、人間のそれとはかけ離れた造りをしていたのだ。
 顔中を黄土色と白の短い毛が覆い、鋭い目、白い牙、そして凛とした耳。
 
 狐だ。
 
 それは紛うこと無き狐の姿だった。
 僕が驚の形相で、その狐を凝視していると、そいつと目が遭った。
 そいつは首をかしげて隣で微笑む男に向き直って言った。
 『御戯れが過ぎますぞ、嫁殿は待ち草臥れておいでです。』
 僕は開いた口が塞がらなかった。
 「じゃあ、そういうことで。お先に失礼します。」
 男はそれだけ言った。狐が籠の御簾を上げると、紙袋を置くに押し込み、そこそこと籠に乗り込みはじめてしまった。
 男が乗り終わると、僕に向って言った。
 
 「じゃあ、失礼します。今日は楽しかったですよ、また会えたらいいですね。」
 男は笑った。
 「はあ…………。」
 もはや、籠の中から聞こえてくる男の声に二つ返事しかできなかった。
 狐は御簾を下ろし、再び頭巾をかぶり、梁に肩を掛けて籠を持ち上げた。
 僕は黙ってその光景を注視する事しかできなかった。
 そして、狐が僕に向って一礼すると、籠は動き出した。
 パシャパシャと、濡れた地面を踏む音が聞こえた。
 その音は次第に、籠の姿とともに闇の中に消えていく。
 
 完全にその姿が消えても、僕は呆然とそこに立ちすくんでいた。
 雨の音が聞こえる。
 地面とぶつかる雨粒が弾け、無数の更に小さい粒へと分裂する。
 その一つ一つが次々に地面と接触し、なじんでいく様子が思われた。

 「っふふ」

 不意に言葉が漏れる。
 僕は今だ訪れる事の無い現実感の側で小さく笑った。
 この感覚はどう形容したらいいのだろうか?
 現実感は本当に無いのに、夢を見ている感じもしない。
 なんと言うか、映画を見終わった後のなんともいえない無情感に似ていると思った。
 だが、それよりもなんとなく幸せな感じもした。
 
 ふと、『天気雨は狐の嫁入りの合図』というフレーズが頭に浮かんだ。

 「トトロ…ねぇ………」
 今のは声に出してしまったかも知れない。
 紙袋を持つ手の力が、ふと抜けた。


 気付くと、いつの間にか雨は止み、空には満月が笑っていた。


                                                Fin .

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突発性競作企画“in rain...”


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