突発性競作企画 第15弾 『世界の名言』参加作品
「隣人を愛せよ。」と主は語りき
作 SiRaNuI
そこは暗い部屋。 四方を囲む壁に窓は無く、ただ薄光の中に浮かぶ壁肌は、無機質にして厳粛な白色の様を呈している。ただ一枚掛けられた絵は、畳一枚ほどはあろうかと思うほど大きかった。 群青と紅色の交錯するその絵は、天使と悪魔が互いの喉に剣を突き立てんとしながら、中心で渦のように絡み合い、遥か彼方で溶け合っていた。 誰が描いた絵かは分からない。ただそれは、そこにあるのが当然というようにそこに居座っているのだ。 その他にこの部屋に置かれている調度品は、 それこそ高級ホテルか、首相官邸とかに置いて在りそうな荘厳な机と椅子だ。 角がグルグルとしていて、足の先もグルグルしている。 椅子に張られている布だけでも、繊細に施された装飾が高級感を演出する。 そんな机の上に置かれているのは蝋燭の炎が怪しく揺れる三叉の燭台が一つ。 この部屋で照明と呼べるのは、そこに刺さった三本の蝋燭の炎だけだ。蝋燭自体はもう半分ほどまで蝋が溶け、歪な帽子を被っている状態だ。 それともう一つ。蝋燭の光は、机の中央に置かれたチェス盤を浮かび上がらせる。 白と黒と、チェック柄に塗り分けられたチェス盤はこれまた高級感漂う天然石使用の逸品だ。 その上に踊るのは黒と白の駒たちだ。 互いにクイーンは生き残って居るものの、ほぼ終盤といって間違いは無いであろうほど、多くの駒が殉職した後だった。 生き残った駒を操るのは二人の人物。 「チェック」 「む。中々えげつない手を打ってくるね」 絵に向かって左に座り白い駒を操るのは、顔に深く刻まれた皺とは裏腹に、白髪交じりといえど未だ黒々とした髪を頭に撫で付けるように整えた壮年の男。小道具かと思うほどに立派な口髭が威厳を感じさせている。得意そうに腕を組み、微笑んでいる。 相対して黒い駒を操るのは、染めてもこれほどまでには美しくはならないというほどに白い白髪を伸ばした若々しい青年だ。意味は在るのかと思うほど小さな丸眼鏡を鼻に掛け、口をへの字に曲げて唸っている。 「いやはや、手が無いねえ。待ってもらえるか?」 「いえいえ、待ったは無しですよ。最初にそう言ったのは先生ですよ?」 さて、少し混乱していることだろう。 ここで少し説明を付け加えることにしよう。 「・・・・・・・そんな事言ったかね?君の聞き違いじゃないのか?」 これを言っているのが青年で。 「はっはっは、まさか。流石にそこまでは年取っていませんよ。」 で、こちらを言っているのが壮年の男だ。 「はぁ……そう言われては致し方ない。よもや私が君にチェスで遅れをとる時が来るとは。いやはや時の流れを実感するね。」 「大昔から変わらないナリをして良く言いますねぇ。」 端から見ればまるで立場が逆だ。貴族とも思えるほど荘厳な男が、自らより遥かに年若く見える青年に敬語を使い。青年は自らより遥かに年上に見える男にタメ口に加え、若者とは思えない言葉遣いだ。 「そうかね?そろそろ老化してきてると思っていたんだが」 「そんな謙遜を。まるで若々しいですよ。ええ、そりゃあもう、歳を知らなければ娘の婿にでももらいたいほどに麗美な顔立ちですよ」 そう言われた青年は、右手で自らの頬をなでる。 「そうか。まだそんなに若く見えるのか。――あまり鏡を見ないからなぁ。」 「ええ。」 壮年の男はコロコロと笑いながら、先ほど動かしたナイトを元に戻し、代わりにルークを2コマ前方に進めた。 「おっと、待った待った。ナイトを戻したまえ。」 「いいんですか?」 「うむ。やはり王を死地から救うのが軍師の務めというものだ」 「そういうもんですか」 「そういうものだ」 再び男はルークを後退させ、ナイトを元の位置に戻した。 青年は指を顎に当て、「う〜ん」と唸りながら盤面を見つめていた。 その様子を男は、微笑みながら眺めていた。 「時にランベスター君。」 「はい?」 不意に名前を呼ばれた男は、ふっと視線を強めた。 「君は今年いくつになる?」 「はぁ……54ですが?」 「なるほど」 「……………………」 「……………………」 それきり青年は口をつむぎ、盤面を凝視し続けた。 「……………………」 「……………………」 沈黙。 「………先生は―――」 男が口を開いた。 「うむ」 未だ蝋燭は燃える。 静かに、そして確実にその長さを失いながら、自らの頭に灯るそれを燃やし続ける。 淡い赤が二人の人間の顔を照らす。 「―――もう、行ってしまうのですか?」 「…………………」 その質問に答えず、青年はただ盤面を見つめる。 「何故ですか?」 「世が世だけに……としか言えんな」 「下世で流行っている宗教裁判ですか?」 「教会の異端審問も活発になっている。」 「私がどうにかします。これでもここ一帯の領主です。昔のように泣き虫の私では無いのです」 「…………………」 「世が変わっても、私が先生をお守りします。この命に掛けても」 「…………………」 ジジッ………と、蝋燭だけが沈黙に華をさす。 男の目は真剣そのもの。決して冗談や酔狂の発言ではないことを裏付けている。 「世は変わらんよ。人は理解できぬ現象を畏怖し、崇め、淘汰する。」 「先生は畏怖でも、まして淘汰の対象では在りません。先生は立派な方だ。」 「よせよせ。私は少し君達より長生きしているだけだよ。」 「だからこそです。先生は人間の素晴らしさも、愚かさも分かっておられる。これからの世には、先生のような人物が確かに必要なのです。」 「それは違うよ。ランベスター君」 青年が白いクイーンを移動させる。 カツン、と乾いた音だけがこだまする。 「『隣人を愛せよ。』とある人が言っていた」 「それはまさに主の言葉です。『隣人を愛せよ。汝の敵を愛し、迫害される者のために祈りなさい』と。それこそ先生です。先生がそれを出来るのを私は知っています」 「だがね、ランベスター君。罪無き罪人を裁くのもまたその教えなのだよ。」 「…………それは―――」 男は言葉を濁す。 目線をそらし、小さく唇を噛んだ。 「そんなことより。君の番だよ。」 青年は男をせかす。 「……はい」 男は視線空ろのまま駒を動かした。 「何、君が気に病むことは無い。ただ、私には愛すべき隣人がいなかっただけの話だ」 青年はあくまで淡白に、そして軽く、まるで冗談のように。 「ああ、こうして思い出すと懐かしいね。まだ君が幼い少年だったころ、やはりこの部屋でチェスを教えたね。」 「大昔の話です。それまで私は、この館には悪魔が住んでいると信じて疑いませんでした。」 軽く苦笑。 「いや、全く。まさか年端も行かない少年がここに出入りするようになるとは、300年前では考えも出来なかったものだ。はっはっは」 「また聞きたいものです。先生の武勇伝の数々」 「武勇伝など。ただの失敗談だよ」 「はっはっは。リアルにノスフェラトゥと闘争をしたのはヴァラリッシュ先生ぐらいしか私は知りませんよ。」 「それはそうだ。私は吸血鬼退治は専門ではない。それはそうと、東ローマ時代の秘薬作りの話はした事があったかな?」 青年は駒を動かす。 「いえ。聞いていません。というか、そんな昔からいたんですか?」 男は駒を動かす。 「ああ。私を誰だと思っている?稀代の黒魔術師にして世紀末のペテン師にして、前代まれに見る変人、ロマノンド・ヴァラリッシュだぞ?」 駒を動かす。 「聞きたいなぁ。そのお話」 駒を動かす。 「うむ。そうだな―――だが、それは今度の機会に取っておこう」 駒を動かす。 「ああ、なんてこった。先生。最後ぐらい少しは手を抜いてくれてもいいでしょう?」 駒を動かす。 「はっはっは。何を言っている。君こそ、昔からそうだ。いくら途中まで成功していても、詰めを誤るといつもそうだ。変わってない。君は変わっていないよ」 「先生」 青年は駒を動かす。 「何だね?」 男は駒を動かす。 「必ず、帰ってきてください。」 「それは約束しかねるね。」 「私が生きていなくともよいです。わが子に、いや、我が孫に。チェスを、チェスを教えに帰ってきてください。それまで私は、敵を愛し、迫害される者のために祈ります」 「…………………」 「先生が愛せるような隣人に、私がなれたら、必ず、帰ってきてください」 青年が駒を動かす。 「ふふふ…ははは…あっはっはっはは!!」 青年が笑う。 可笑しくて可笑しくて、これは笑わずにはいられないというものだ。 それに比べ男は真剣。 「いやいやいやいやいや。参った参った。まさかあの泣き虫ランベスターがこの私を屠る時が来ることになろうとは、誰が予想しえただろうかね」 青年はそれを掴む。 黒いそれは馬に乗った騎士。 穿つは一線。ただひたすらに突撃せし騎士を放つは、ある時は奇跡を呼ぶ指先と称えられ、ある時は偽りの泥に汚された指先と蔑まれた青年の右親指と人差し指。 さて無常かな、否、無情かな。青年は言葉を紡ぐ。 「よかろう。遥か時間かかろうとも、隣人を愛せるようになったら、私は今一度君の、いや、君達の前に現れよう。そのときはまたチェスでもさそうではないか、ランベスター・ヴェル・アルフレッド卿」 青年は笑う。 「はい。―――嗚呼クソ。とうとう最後まで勝てませんでしたな」 「何、気にすることは無い。所詮は年の功という奴だ。」 青年は 「ではお元気で、先生」 静かに 「うむ。また会おう、少年」 駒を 動かした。 「チェックメイト」 Fin . |