宇 受 賣 屋 偶 吟 録 〜 『安らぎの場所、慈愛の心』

 

 凱風 新緑の草木を撫で

 春色 人の想いを揺らぐ

 消え入るような陽光の中心に、その道はある。

 

 木々の作る天然のトンネルのような空間。

 眩しいぐらいの太陽の光が、柔らかな木漏れ日となり、砂利の敷かれた(みち)を穏やかに照らしている。

 目に優しい緑の自然が広がっている。

 長くもあり、短くもある(みち)

 遠い緑の屋根から聞こえる小鳥の鳴き声と、柔らかい風に揺らされる草木の音が、この空間の全ての音として、見えるもの全てを和やかに包み込んでいる。

 

「……へきしっ」

 突然、何処からかくしゃみが聞こえてきた。

 

 いや、聞こえた場所は目の前に見えている。

 さっきからそこに在ったのかもしれないし、無かったのかもしれない。見えていたのかもしれないし、見えていなかったのかもしれない。

 

 ただ、目の前には、

 

宇受賣屋(ウズメヤ)

 

 そう書かれた、朽木に掛けられた看板と、彩やかな紫の花を垂らす巨大な藤の木と、その景色の中にある一軒の茶店があった。

『屋』と付くからには、店でよいのだろう。

 

藤の木の横にある平屋の更に脇、朱色の毛氈が敷かれた腰掛がいくつか並ぶ、『和』が凝縮されたような空間の中。

一人の藍色の前掛けをつけた青年が、箒を持って地面を掃いていた。

見た目十代後半といったところで、無造作に仕立て上げられた短髪は、何故か右目に掛かる一房(ひとふさ)だけが赤く染められている。

「はぁ〜……」

 青年は掃きながら溜め息を()いた。先程のくしゃみの主は彼だろう。

「この木もなぁー、一年中咲いてるのはいいけど……」

 ひらり、と花びらが一つ青年の目の前に舞い、落ちる。

「年中掃除しないといけないのが、唯一の欠点っスよね……」

 愚痴りながらも手は止めない。たった今落ちたばかりの花びらを年季の感じさせる箒で掃き取ってゆく。

 文句を垂れている割に、その顔は面倒臭そうではなく、むしろ楽しそうでさえある。

 箒と地面の擦れる音が、暫く心地よい響きとなって鳴っていた。

 

 

「こんにちわ〜!」

 青年が一通り掃き終わり、箒を置いて伸びをしているとやたら明るい声が響いた。

 お客さんだ。

「あ、はい!いらっさい!」

急いで店内に入り客の前に行く。

「やっほー、()()君」

「あれ、()(しゃ)(ひめ)さん。また来てくれたんスか」

「まね。なんか来たい気分だったからね〜」

 そう言って、()(しゃ)(ひめ)と呼ばれた二十代前半に見える猫毛の女性はにゃははと笑った。

「常連さんがいるってのはこっちとしてはホントありがたいっスよね。待っててください、今お茶出しますんで。外でいいスか?」

「うん、宜しく〜」

 ()()と呼ばれた青年が奥へ消え、それを見届けてから、紗叉姫は先程夜義が掃除をしていた場所に出た。

 

 目の前に、高貴で彩やかな紫と朱が広がる。

紗叉姫は藤の巨木に視線を移した。

 さわさわと紫色の花が揺れる。

「……」

 近づき、触れてみる。

 ごつごつした木の皮ごしに、穏やかな、和やかな感覚。

触るだけで心が落ち着くような感じだった。

 目を瞑り、暫くその感触を感じていると、

「いいっスよね、この又藤は」

 後ろから、仄かに湯気の立つお茶と串団子を乗せたお盆を持った夜義が現れて言った。

「ほら、紗叉姫さん。立ってないでどうぞ座ってくださいよ」

 言われたとおり、朱色の腰掛に座った。隣に夜義がお盆を置く。

 夜義は藤を見上げると、

「なんかこう、この木見てると、心が安らぎません?」

「そーねぇ……何だかとにかく落ち着くわよね。心が洗われるみたいな。触ると特に、ね」

「触ってもいいっスけど、傷付けないで下さいよ?紗叉姫さん爪鋭いんすから」

「うるさいわね!しょうがないじゃない、猫又なんだから!」

 紗叉姫はぷいと顔を背けて団子を一つ齧った。夜義は苦笑しながら、

「いや、悪い意味で言ったつもりじゃなかったんスけどね……スンマセン」

紗叉姫は頭を掻きながら謝る夜義を横目で見、再び視線を藤の木に戻す。夜義もそれに倣う。

暫く無言の時が過ぎる。

 

「そういえばさ、京子は?」

 先に言葉を発したのは紗叉姫だった。

「あ、京子さんなら今出掛けてるっす。」

「へー、珍しいわね、あのコが出掛けるなんて」

「ええ、あんまし出掛けないっスからねー、彼女は……お、っとと」

「?な〜に?」

「いや、あそこ。お客さんっす。じゃ、俺行ってくるんで。紗叉姫さん、ゆっくりしてって下さい」

「ん。行ってらっさい」

 ひらひらと手を振り、「はい、いらっさい!」と言う夜義の声を聞きながら紗叉姫は一本目最後の団子を口に入れた。

 次の瞬間、

「……へっ?あの、お客さん?え、あの、ちょ、ちょちょちょっとま、ま待ってく」

 最後まで言い終わらずに、悲鳴と共に夜義が飛んできた。正確にはぶっ飛んできて、腰掛の一つを跳ね飛ばし、二つ目を粉砕し、三つ目に跳ね返され、紗叉姫の目の前に転がってきた。

 衝撃で藤の花がはらはらと舞い落ちる。

「……」

 目の前で起きた突然の事態に、紗叉姫は団子と串を銜えたまま固まっていたが、暫くして団子を串から抜き取ってよく噛んで飲み込むと、

「……夜義くーん。……生きてるー?」

 今食べ終わったばかりの団子の串で、ぴくりともしない夜義の体をつついた。

「……生きてます」

 返事をしてからたっぷり時間を掛けて、夜義はよろよろと起き上がった。

「ありゃ?案外平気そうねえ」

「いやめっちゃ痛いっス」

 早口で訂正した夜義の前に、薄い影が掛かった。

「おりょ?」

「うわ!?」

 二人の目の前には、身の丈三メートル程の半透明の『お客さん』が立っていた。

 まあ、こういうお客さんが来ること自体は珍しくも何ともない。この店は来るものは拒まないからだ。

 ――が、こういうケースは……。

「あ、あの、お客さん!?何々すか!?落ち着いてくださいよ!」

 言った瞬間に夜義の体は横へ吹っ飛ばされていた。体の色彩が薄いので何をしたのかよく見えない。

またしても悲鳴を残して夜義は平屋の土壁に突っ込み、土壁を粉々に粉砕する。

「あ〜あ〜あぁ〜……大丈夫かな」

 目の前で人がぶっ飛ばされたというのに、紗叉姫はさして特別な反応はせずに二本目の団子を口にした。

だが、壁が壊れる程叩きつけられてどう考えても大丈夫とは思えない。

粉塵が消えてきた頃、平屋の内部が丸見えになった壁の残骸の中から、がらがらと音を立てふらふらと人影が姿を現した。

「……うぐぐ……いって……最悪っスね……なんでよりによって京子さんがいないときに……」

 相当なダメージのはずだが、痛がっているだけで体そのものに大きな傷はないようだ。

「よぉーぎくぅーん。大丈夫―?」

「紗叉姫さん!そいつの隣にいちゃ危ないっスよ!」

「いやー君の方が……」

 言い終わる前に、夜義は『お客さん』の腕(伸びた?)に掴まえられぶん投げられていた。

 三度(みたび)悲鳴を残し、紗叉姫の隣に痛そうな音と共に落下する。

「……うぅ」

 呻きながらゆっくりと夜義は立ち上がった。

 紗叉姫がお茶を啜りながら言う。

「やっつけちゃえば?」

「相手はお客さんですよ!」

「じゃ封じちゃえば?」

「俺には出来ませんよそんなの。京子さんだったら出来るんすけど……」

 そしてまた呻く。

 紗叉姫はこっちに近付いてくる『お客さん』を見て数秒考えると、

「私がやっつけちゃおっか?」

 にゃはは、と笑いながら言った。

 それを聞いて夜義は激しく首を横に振り、

「紗叉姫さんもお客さんっスよ!そんなことさせるんなら俺がやってます!」

「ならやっちゃえばいいのに」

「い、いや、あの方も一応お客さんだし……」

「そんなこと言ってる場合じゃないんじゃない?」

「えっ?」

 くい、と紗叉姫が向けた指の先。

 『お客さん』が攻撃の初動作をしているようなものが辛うじて見えた。

 問題はその軌道上にある一本の巨木。

 それはまさしく、この店のシンボルとでも言うべき、あの藤の木。

「なっ!!」

 『お客さん』が動く。

 

 大きな衝撃音が響いた。

 さわさわと、紫色の花が揺れた。

 

「ってぇ……」

 その藤の木と、拳のようなものの間。

 

 夜義が、自分の頭よりでかい『お客さん』の拳(のようなもの)を素手で止めていた。

 

「……お、お客さん」

ぎりぎりと力を入れたまま夜義が喋る。

「あのですね、平屋が壊されたり俺が痛いのはいいんスけどね、……この藤の木傷付けたり、他のお客さん傷付けられたりしたら困るんスよ」

『お客さん』は無言。

「あの、暴れるのは止めて、ほら、腰でも下ろしてくつろいで下さいっス。お茶でも用意しますから」

 ふわり、と拳(のようなもの)の圧力が夜義から離れる。

 夜義はほっとしかけたが、『お客さん』は更にとんでもない行動に出た。

 なんと拳(のようなもの)が、腰掛に座っている紗叉姫に向けて動きだしたのだ。

「えっあのちょお客さん!!」

全速力で、拳(のようなもの)が迫ってきているのに全く動じずに団子を頬張っている紗叉姫の前に回りこむ。

今まさに命中しようとしていた拳にとび蹴りをかまし、軌道を逸らした。

拳(のようなもの)が腰掛の残骸のうちの一つに派手な音と共に沈む。

「わあ、なんか守られてるみたーい」

「守ってんスよ!」

 そう言った夜義の前に、再び薄い影が掛かった。

 それは無言のまま、そびえるように立つ『お客さん』。

「……」

 暫く夜義も無言だったが、一つ、諦めたような溜め息を()いた。

「……しょうがないっスね……全く」

誰にも聞こえないような小声でそう呟いた後、ゆっくりと『お客さん』と向き合った。

右手で、右目に掛かっている髪の内、一房の赤い部分に触れる。

「……ここは来られたお客さんは拒みません。お客さんには最大限の心を持って応対して、春を満喫して休んでもらおう……と、思ってるんスけど……例外はあるんスよ」

赤い髪の毛を一本だけつまむ。

「お客さんに迷惑を掛ける場合……」

 ぷつり、と一本だけ抜き取る。

「又は、こちら側に尋常でない程の多大な損害を加えるような場合……」

 つまんだ指が離れ、髪の毛がふわりふわりとゆっくり落ちる。

「そして、且つこちらの静止にも全く耳を貸さない場合は……」

髪の毛の先端が、夜義の足元の地面に付く。

「強制退去――最悪排除(・・)させていただきますっス!!」

 

 その瞬間、上空から赤く、鈍く光る何かが夜義の前に飛んできて、先程の髪の毛が触れた場所へ金属が擦れたような音と共に突き刺さった。

 

 ――それは、日本刀。

 刀身の全てが紅く輝く、血塗られたものとは違う、気品を感じさせるようでありながら容易には(さわ)れないような圧倒的な威圧も持ち合わせた、それは紛れもない刀。しかもその長さから察するに、それは『太刀』。主に平安時代以降、合戦に使われた刀である。

 名を『(れつ)()朱走(せきばしり)』。

 鞘はない。

 夜義は、目の前に降り立ったそれの柄を握り、抜き取った。

 鈍く光るその刀を、ゆっくりと構える。

 

 ――少し、いやかなり独創的な構えだった。

 まず刀を諸手で握っていない。右手のみ、しかも逆手(・・)。右腕に沿って長い刃が伸びるように握っている。左足を前に出し、重心は右足側。半身(はんみ)で構え体勢は低い。

 攻撃を躱しやすく、突進力を殺す代わりに跳躍力に長けた構えである。

 

未だに『お客さん』は無言のまま、微動だにせずじっと夜義と向かい合っている。

「……」

 夜義の眼が細められ――。

 

 夜義の全身の筋肉が、躍動した。

 地面が窪むような強烈な跳躍で一足飛びに間合いをなくし、その勢いに任せたまま、足を付かずに右ストレートの感覚で斬る。

 斬撃の感触の中に、僅かに寒天を斬ったような感じがあった。

 地面を削りながら着地し、すぐさま振り返って構える。

 一瞬の間の攻撃。

『お客さん』の体に、確かに傷があった。血も液体も流れてないが、皮が開いたような痕が一箇所だけある。

ここで引いてもらうために、わざと浅めに付けたものだった。 

「……」

 暫く『お客さん』の出方を伺う。

 

 突然、『お客さん』が咆哮した。衝撃で藤の木の花びらが数枚落ちる。

 そして、腕のようなものを振りかざす。

明らかに攻撃と思えた。

 心の中で舌打ちする。

 唸るようなスピードで迫ってくる拳を見つめ、まさに当たるその瞬間、

「っせあぁ!」

 眼が霞むような、段違いの速さで夜義は地面を撫でるように疾走した。

 目標は足(のような部分)。

 空気を切り裂きながら、殆ど一瞬で敵を斬り上げる。

 斬り上げた勢いのまま体を半回転させ、地面に体が擦れるような体勢で土を舞い上げながら急停止した。

 視界に上空に舞い上がった『お客さん』が映る。

 瞬時に着地点を予測。

(……?)

 そして気付く。

 落下地点はここだ。偶然ではなく、狙ってここに移動して着地するつもりだ。

 『お客さん』の巨大な体が迫る。

 甘い。この体勢からでは攻撃できないとでも思ったのだろうが……なめ過ぎだ。

「はぁあッ!!」

 寝転がっているような状態から、地面が抉れるほどの跳躍、アッパーに近い形で縦一直線に切り裂いた。

 空中で夜義と『お客さん』の位置が丁度入れ違う直前、夜義は素早く前転し、

「だっ!」

遠心力を上乗せした踵落としを真上から叩き込んだ。

相手は轟音と共に地面に沈み、夜義は反動で更に上へと軽く上がる。

(これで終わりにさせてもらうっスよ!!)

 空中にいながら、夜義は刀を相手に向かって投げた(・・・)

 どす、と刀が突き刺さり、『お客さん』の体がやや蠢く。

 思った通り、刺しただけではそれ程効いた様子はない。

 とどめはここからだ。

 夜義は落下しながら、

五行(ごぎょう)陣・義の型!!」

 両手を額の前で交差させ、

(れつ)!!」

 そう叫び、一気に両腕を左右に広げた。

 

 その刹那、刀が紅い閃光を放ち、『お客さん』の体が軽く膨らんだかと思うと、爆発するように全身が裂けた。

 

 再び、咆哮。

 重い音と共に『お客さん』の体が倒れ、一瞬後に夜義も着地。

「……」

暫く様子を見る。

「どぉ〜?死んじゃった?」

 場にずれた楽天的な声に振り向くと、紗叉姫がさっきと変わらぬ場所でお茶を啜っていた。

「いや、手加減したから、体の表面しか裂けてない筈っス。死んじゃいないっすよ。あのタフさなら大丈夫でしょう」

 夜義は、ふぅー、と息を吐き、

「怪我はないっスか?」

「ないよー」

「良かった。じゃあ、後はこのお客さんを店の外に出し」

「あ」

「え?」

 突然、夜義の体に何かが巻きついた。

「!?うわ!」

 そのまま上へ引っ張り上げられる。

「な、ななな何すか!?」

 見ると、あの『お客さん』の体から伸びた触手のようなものが絡み付いていた。

「な、まだ……」

 言い終わる前に、夜義の体に猛烈な圧力がかかる。

「うがッ!」

 とんでもない力だった。

「ぐ……う、ぉ……!!」

ぎりぎりと締め付ける触手のようなものからなんとか逃げ出そうとするが、腕一本まともに動かせない。

(しまった……朱走(せきばしり)は……!)

 刀は、未だ相手の体に突き刺さったままだった。

 この状態から抜け出さなければ刀は取り戻せない。が、この力では身動きできないし、両腕とも自由が利かないのでもう一本の赤髪を取ることもできない。

(や、やばい……!)

 締め付ける強さが徐々に増しているのが自覚できた。もう少しいったらどこかの骨が折れるのは間違いない。

(く、くそ……何とか、しないと……!!)

 

 

 

(う〜ん、これはいわゆるピンチってやつかナ?)

 そのころ、紗叉姫はまだお茶を啜っていた。

 目の前では夜義がとっても苦しそうにしているのだが、それを見て慌てている素振りは全くない。それは、自分が慌てても別に何かが変わる訳でもないと理解しているからである。伊達に298年生きている訳ではない。物事に対する対応は常に冷静に、だ。

(助けてあげよっか、世話になってるし)

 お茶を飲み終わり、ようやく動く気になった。

 しかし、いざ動くとなっても、その方法が問題だった。正面から助けたら、『客同士の喧嘩騒ぎ』となってしまう。何らかのうまいやり方で片付けなくては。

「!」

 紗叉姫の頭の中で豆電球が点灯した。

 先程食べ終わった団子の串を一本手に取る。

 それを左手に持ち、右手を人差し指だけ立てた。

 すぐに人差し指にぼんやりとした怪しげな灯がともる。

 その指で串を螺旋状に撫でると、串にその光が残り、それは数秒経って消えた。

 それを、

「あぁっ、手が滑っちゃった♪」

 どこからどう聞いても見ても、わざとやったようにしか見えない動きで適当に放り投げる。

 

 それは時間をかけてくるりくるりと回った後空中で静止し、弾けたような音と共にいきなりウニを思わせる形にまで増殖した。

 そして、次の瞬間、百本は軽くありそうな串が一斉に射出された。

 

 

 

 締め付けの強度が夜義の骨の耐久度の限界点を超えようとしたまさにその時、

「!?」

 機関銃のような轟音を鳴らしながら、何かが大量に触手のようなものに命中した。

 触手のようなものはその何かの直撃を食らったあたりで千切れ、夜義は地面に落下する。

 全身が悲鳴を上げていたが、何とか着地には成功した。

 見ると、紗叉姫が小さくピースサインを出していた。

(……!紗叉姫さん!感謝するっす!)

 気合で立ち上がり、相手に素早く近付き朱走(せきばしり)を抜き取る。攻撃される前に全速で離れ、間合いを空ける。

(不覚を取ったっスね……今度こそやるっスよ!)

 夜義が刀を構え直した、その時。

 

 

「何をしているの?」

 

 

 澄んだ美しい声が、静かに響いた。

 

 そこにいた全員が振り向いた。

 そこには、一人の和服の女性が立っていた。

 見た目二十代中頃、丸い鼻掛け眼鏡をかけ、髪は結われているにも関わらず、後ろにまとめて垂らされた髪の部分が背中にまで達している。

 年齢にそぐわない、仙人もしくは魔女のような雰囲気を身に纏った、不思議な感じの女性だった。

「京子さん!」

「あ、京子。おかえり〜」

「こんにちは、紗叉姫さん」

 柔らかな笑みを浮かべながら挨拶をする。

「何処行ってたのー?」

「少し用事がありまして、知人の所へ。その間、夜義君に留守を任せておいたんですが……」

 京子は辺りを見回した。

 地面はそこかしこが抉れ、腰掛は二つが壊れ、店は藤の木に向く方の壁が粉々になり、地面には傷付いたお客さんと思われる人が横たわり、刀を構えた夜義が横たわった彼から出ている触手のようなものと格闘している。

 何が起きたか、憶測しやすいが予想しがたい状況だった。

「一体、どうしたんでしょう?」

「う〜ん……簡単にゆーと、お客さんが攻撃してきたから夜義君が応戦してるの」

「攻撃?」

 京子はじっと格闘している二人を見つめた。

「攻撃というのは、どのようなものでした?」

「え〜っと……詳しくは直接見てないから分かんないけど、最初になんか吹っ飛ばされてきたから、吹っ飛ばされたんじゃないの?」

「……申し訳ありませんが、分かる範囲で宜しいので事の顛末の説明をお願いできますか?」

「オッケー。まずはねぇ――」

 

 いまだに続く戦闘の振動に、藤の木がざわざわとゆれた。

 その揺れは不定期で唐突で、いつもの穏やかな雰囲気とは大分違う。

 しかし、花弁は、一枚も落ちていない。

 

「――てな訳。取り敢えず間違っちゃいないと思うよ?それで、今に至ってる」

「成程……概ね分かりました。どうも有り難うございます」

 そう言って、京子は夜義の方に顔を向け、一言言った。

「夜義君」

 あまり大きな声ではなかったが、夜義はそれに反応し、襲い掛かる触手にうまく足を乗せて跳躍した。くるくると回転し、京子の隣に着地する。

「あのね、よぎ――」

「待ってたっス、京子さん!あいつ結構強いっスよ!しかも店壊すし客攻撃するし言っても聞かないし!協力お願いします!」

「ちょっと、そうじゃな――」

「さあ、こっからっス!行くっスよ、きょう」

 後頭部に軽い衝撃。

「ごさんッ!?」

 振り返ると、京子がどこから取り出したのか閉じた扇子を持っていた。

 目を白黒させる夜義に対し、京子はいかにも呆れたというような溜め息をついた。

「全く……あなたという人は……」

「な、何っスか?」

「自分がやられたから、と言ってお客さんを攻撃する従業員がいるかしら?」

「い、いや、だってあのお客さんは!店も壊したし紗叉姫さんも攻撃しようとしたし、止めても全然耳を貸そうと……」

「何回、静止の声をかけたの?」

「え?えっと……」

 急いで記憶を辿り、

「三回……いや四回、っス」

「その間、何か言い返された?」

「へ?……いや、あの人全く喋んないんで……」

「そこで気付きなさい。彼は、喋らないのではなく、喋れないのよ。そういう器官は持ってないの」

「あ」

「そのようなお客さんは今までにもいたでしょう?黙っているから聞いていないというのは、少々乱暴よ?」

「で、でも!いきなり攻撃するって事はやっぱり聞いてないじゃないっスか!」

「彼がしたのは、攻撃じゃない。そう考えてみた?」

「いや、あれはそうですよ!第一最初からぶん投げられましたし、他にも……」

「……紗叉姫さんから聞いたけど、彼、基本的にあなたしか狙っていないわよね?」

「紗叉姫さんと又藤に一回ずつ以外は……確かにオレっスけど」

「では、これは予測……多分あなた、お客さんの体がどう動いたのかはっきりとは見えていないでしょう?それに戦っている間、お客さんに一言も『やめてください』という意味の言葉を言っていないでしょう?」

「え……」

「その顔を見るに、図星ね」

「な、なんでそんなこと分かるんスか?」

「教えてあげます。まず、あのお客さんにはもともと攻撃する意志はなかったと考えなさい」

「はぁ……」

「そして、彼は……分かり易く言うならば、怪力の持ち主とでも思いなさい」

「怪力?」

「本当は少し違うけれど、あくまで例え。分かり易く言うならば、よ」

「……それで……?」

「お客様はこの宇受賣屋へ足を踏み入れた。自分の前に来た従業員に、彼は挨拶をした。しかし、力が強すぎて吹き飛ばしてしまった」

「殴られたんすよ!?」

「それは人間の感覚よ。恐らく彼には『触る』という感覚しかないでしょうね。……彼は後を追ったけれども、声を発するという概念がない彼には触れるしかなく、もう一度吹き飛ばしてしまう。仕方がないので体を伸ばしこちらへ連れてくる。……これをあなたは捕まえられて投げられたと感じる」

 夜義は目を丸くして聞いている。

「そして彼はあなたに近付こうと又藤に接近し、これをあなたは又藤への攻撃と解釈し、止めにかかる。さらに、あなたに『落ち着いて休んでください』と言われ、彼は腰を下ろそうとする。しかし、あなたはこれを紗叉姫さんへの攻撃と思い、蹴り飛ばす。不思議に思って彼はあなたを見つめ、あなたはこれを立ち塞ぐように感じる。……そしてあなたは、攻撃を開始。付けられた傷に、彼は動揺する。あの咆哮は、体全体の振動からなる強烈な空気の揺れ、と見るべきでしょうね。動いた体を見てあなたはそれを反撃とみなし、彼を斬り上げる。上空に上がった彼は、取り敢えずあなたを落ち着かせようと上から押さえようとする。あなたはそれに対して更に攻撃、そして『五行陣』で止めをさす」

 夜義にもだんだん分かってきた。

「激しい痛み……という感覚があるのかどうかは分からないけれども、それに近い感覚に彼は再び咆哮。このままでは危険だと判断し、内部から腕を伸ばしあなたを押さえつける。しかしあなたはこれも破り、戦闘を続けた……」

 京子はそこでいったん口を閉じ、

「こんなところかしら」

 そう言って夜義を見、その後『お客さん』の方へ歩み寄った。

 一方、夜義はやや混乱していた。その話が真実ならば、どう見ても非があるのは自分である。お客さんを守るために戦っていたはずで、店員がお客さんを傷つけるという暴挙までしたというのに……。大体、さっきまで戦っていた相手が実は白でした、といきなり言われてもすぐには飲み込めない。

 横たわり触手のようなものを出している『お客さん』に、なんの警戒も払わず近付いてゆく京子を見て、夜義は一応いつでも攻撃できるように準備をした。京子があの触手の攻撃を食らうようなへまをするとは思わないが、念のためである。

 京子は『お客さん』の前に行くと、

「私の方の従業員が大変ご迷惑をおかけしました……。お客様に被害を与えたことに、深くお詫び申し上げます。お怪我の手当てはこちらで責任を持って行います。本当に申し訳ありません……」

 そう言って頭を下げた。

『お客さん』は、何の攻撃もせず、無言。

 ――唐突に、夜義の頭の中に、今の話が真実だということが浸透していった。

 夜義は、なんだか自分が大犯罪を犯してしまったような気分になった。

 いや、実際似たようなものだ。悪意のない大切なお客さんを傷付けてしまったのだ。従業員として失格である。

「……スンマセン、京子さん」

「私に謝ってどうするの」

「あ……す、すいません、お客さん……オレの早とちりだったみたいで。……迷惑かけてすいませんっス」

「夜義君。喋らないから、被害を加えるから、といって早急に物事を決め付けてはいけないのよ。特に、ここではね」

「……はい」

「あなたの常識が、必ずしも通用するお客様だけではない。……そのことを、もう一度確認しておいて頂戴」

「……はい」

「最初、私はあなたにこの店はどのようなものといったかしら?」

「え?……えっと……来るものは拒まない。あと……来た人々に、安らぎを与える。……とかですか?」

「そう、ここにいらっしゃってくれた方には、最大限の慈愛の心を持って、心を休ませてもらいたい……この空間で戦うというのは、例外の一つなの」

「分かっては……います」

 数秒、無言の時間が流れた。

「……さて、では、お客様の手当てをしなければ。夜義君、救急箱の用意をして」

「あ、はい」

 返事をして、夜義は刀を地面に突き刺した。すると、刀は紅い光に包まれ、暫くして光が消えると、そこには地面に刀が刺さっていた跡だけが残り本体は消えていた。

 夜義が、片側の土壁が崩れて外から丸見えの室内の奥へ消える。

 

 

 一方その頃、紗叉姫は丁度店を後にするところだった。

(さすがにやっぱ、私も攻撃したってのは京子に話せないし……私はなーんもしてないってゆっちゃったからなあ……ま夜義君が話さなければばれないでしょ)

 初めて見るボロボロの常連店に視線を送りつつ、『二股のかぎ尻尾を持つ猫』がつててて、と外に出て行った。

 

++++++++++

 

「はぁ〜……」

 藤の木の横にある平屋の更に脇、朱色の毛氈が敷かれた腰掛がいくつか並ぶ、『和』が凝縮されたような空間の中。

一人の藍色の前掛けをつけた青年が、箒を持って地面を掃いていた。

見た目十代後半といったところで、無造作に仕立て上げられた短髪は、何故か右目に掛かる一房(ひとふさ)だけが赤く染められている。

「はぁ〜……」

 青年は掃きながらもう一度溜め息を()いた。

「この木もなぁー、一年中咲いてるのはいいけど……」

 ひらり、と花びらが一つ青年の目の前に舞い、落ちる。

「年中掃除しないといけないのが、唯一の欠点っスよね……」

 愚痴りながらも手は止めない。たった今落ちたばかりの花びらを年季の感じさせる箒で掃き取ってゆく。

「ホント……オレってまだまだ未熟……駄目っスね……色んな意味で」

 悲観的な独り言の割に、その顔は面倒臭そうというより、むしろ楽しそうに近い。

「いい従業員って、難しいっスね……先生」

 そう言って又藤を見上げた。

 さわさわと木が揺れ、花びらが舞う。

 何故か、自然と笑みがこぼれた。

「……宇受賣屋は、最高の安らぎ場所っスよ」

 箒と地面の擦れる音が、暫く心地よい響きとなって鳴っていた。

                                   《 了 》