宇受賣屋偶吟録 〜『小春日の夜道、散り往きの語り』 麻生 夢幻作

 


 小春日 命の律を惑わし

 宵闇 人の心を惑わす

 先見えぬ神無月の闇の先に、その道はある。

 

 きみを忘れない 曲がりくねった道を行く・・誰の曲だったかな。今でも思い出せる、彼女の姿。あれは闇だけがぼんやりと満ちる、穏やかな夜の話。

 冷え込んでたけど、吐く息は白くない。だからきっと十月くらいだったと思う。

 

その時オレは塾帰りに暗い夜道を歩いていた。

電灯は思い出したようにぱっ、ぱっ、と点滅し、人通りのない路を頼りなさげに照らす。なんだか不気味だ。

「ああ、ヤダヤダ。とっとと帰ろう・・。」

 こんな夜は出るらしい。オレは怪談話の類は大ッ嫌いだ。

オレは近道しようとして、近所の公園を横切ろうとする。そこはでかでかとした『一本桜』が特徴だが、季節は秋ド真ん中。華のない桜に如何ほどの価値も見いだせない。

オレはそんなものには目もくれず、ひたすら家路に向かおうとした。

「・・あの。」

 オレは突然声を掛けられた。可憐で、儚い、綺麗な声。

・・おかしい。さっきまで人の気配なんてまるっきり感じなかったのに。

(無視すんのも悪いよなぁ。)

 イヤな予感がするが、取り敢えずは良心と、好奇心が勝った。

「な、なんでしょう?」

 オレは振り向き、返事をする。

 そこには先刻の声質にジャストフィットしそうな、可憐な少女が俯いていた。

 顔は見えないが、おそらく一四,五歳くらいの女の子。足下まである柔らかそうな薄いピンク色のワンピース・ドレスを纏い、両手を胸に添え、もじもじとしている。

 ルックスとしては上出来。九〇点はカタいだろう。

 オレはしどろもどろになりながら、彼女の言葉を待つ。

 だが、次の瞬間、オレは恐怖のドン底へ突き落とされる。

「・・私、綺麗でしょうか?」

 オレの頭の中に有名な都市伝説が浮かび上がる。夜道でマスクを付けた美女が通りすがりの人に声を掛ける。「わたし、綺麗?」そう言いながら、マスクを外す。その下には耳まで届く、裂けた赤い口。そして答え如何によっては手にした鎌で相手の口をばっさり。

 その他、一〇〇メートル四秒台で走るとか、ベッコウ飴が大好きだとか、諸説紛々だが、それでも広まる伝説は社会問題に発展して、今なおリアリティを帯びた怪談話になっているとか・・。

「ぎゃああああぁぁぁっぁぁぁぁぁっぁぁぁぁっぁぁ!!!!」

一刻も早くこの場を離れねば!オレは顔を見る前に一目散に逃げ出した。怖気と共にびりびりとした感覚が全身に流れていくのが分かった。

「あ、あの・・!」

 後ろで消え入りそうな声がするが、知ったこっちゃねェ!

 しかし、夜の街は日中のものとは全然違う顔を見せる。何処がどこだか分からなかったが、オレは夜の道をひたすらに疾走した。

 

 ぜぇ、ぜぇ・・息がどうしようもないくらいに切れる。足、肺、いや、全身が痛い。

 後ろを振り返る。ヤツの姿はない。どうやら一〇〇メートル四秒のヤツではなかったらしい。オレはホッとした。

「・・しかし、ここはどこだ?」

 よく考えると、間抜けなセリフだ。しかし本当に分かんないから笑えない。

 紅、黄、茶などの褐色に染まった並木道。風に吹かれ、ひら、と落ちる葉が何とも綺麗だ。頭上を覆う褐色の天蓋からは柔らかな月光が顔を覗かせている。周りは夜の静寂に包まれて、ほぼ無音。足下は砂利敷きらしい。靴底を伝う干渉が心地よかった。

(やべぇ・・すっげぇ、イイ。)

 空間に飲まれる、ってヤツだろうか。オレはこの空間が気に入った。

(この先には何があるんだろ。)

 オレは気になって、奥へ奥へと足を進めた。

 

 月の薄明かりに照らされ、ただ一人、長い長い褐色の道を歩いた。小春日の穏やかな空気のように、ゆったりと時間の感覚が麻痺していく。

 どれだけ歩いたかは分からなくなってきた頃、周りの景色に変化が現れた。

「・・んだよ。ありゃあ。」

 でかいでかい、藤の朽木。それだけなら、まだいいんだ。ただ致命的な、異なる点が一つだけ。

 華が、満開だった。薄紫の藤花が月光を受けて輝くように咲いている。

 その脇に目を向けると『宇受賣屋』と言う、読み方さえ思いつかないような看板が掛けられたこぢんまりとした平屋が見えた。

「まだ、灯りがついてるな。取り敢えず、ここが何処だかを聞こう。」

 オレは自分が迷子である、と言う事実を思い出す。

 何か、またもやヤな予感がするが、聞かないことには仕様のない気もするので、オレはその長屋の藍色の暖簾をくぐることにした。

 

 なぁ、郷土資料館とか、行った事あるか?その内装はまさにそんな感じだった。

 地面からせり上がった八畳の座敷、奥には襖、真ん中の囲炉裏には天井から蛭釘(・・だったよな)がぶら下がり、魚(・・鮎?鮪じゃないハズだ。)の形をした鈍い黒の鎖。その先には時代がかった釣り釜が掛かっている。土間には籠とでっかい水瓶、棚にはカラフルな食材が並んでいて、甘い薫りが鼻をくすぐった。

 恐ろしいくらいに時代錯誤。でも、落ち着いた内装はイケてないとか、そんなモノを感じさせない風情があった。

「あら、お客さんですか。」

 突然、奥の襖が開いた。そこから和服の綺麗なおねいさんが現れた!

「あ、その、いや、アハハハハ・・そ、そうですね。」

 ん〜、何言ってンだか分からん。ただ、こんな所に住んでいるのが妙齢な黒髪美人だなんて、時めかない方がおかしいだろ。

「そうですか。じゃあ直ぐに用意しますので、外でお掛けになっていて下さい。」

 オレはそれに従い、アホ丸出しに外に出た。

 

 扉を開けると、そこは夢幻の世界でした・・ちと古いか。

 花吹雪、花化粧、百花繚乱・・どの言葉がドンピシャなんだろう。オレは未だにそれを表す言葉が思いつかない。ともかく、絢爛と言うくらいの藤花が咲き乱れていた。

 時折風に吹かれて舞う薄紫の花片は、月の光で輝き、まるで零れた月の雫のようだった。

 ・・オレって詩人?

 毛氈に座って下らないことを考えながら、オレはその景色に魅入っていた。

「こっちッスよ〜。」

 少しして、再び襖が開く。先刻は見なかった店員らしい若いオニイサンと、何処かで見たような女の子が現れた。オニイサンは二十五くらいで、右目に掛かる髪の一房を真っ赤に染めていた。・・パンク系なのかも知れない。

 そして二人はオレの直ぐ後ろの毛氈に腰掛け「ちょっと待ってて下さいナ。」と言って、再び店の中へ戻っていってしまった。

 後ろの彼女はぽけーっ、と藤に見とれたまま、無言。別に何も話す必要なんてないのだが、こうして無言で居るのもなんだか非常に気まずい。

(・・とは言っても、なぁんも思いつかんしなァ・・)

 オレは眉間にしわを寄せながら、ぼんやりと上を見上げる。

 花と花の間から、月の光がそっと零れた。

 

 しばらくそうしていると、あのステキな店員さんが盆に湯気立つ急須と、少し大きめの湯呑みを二つ、そしてほくほくの銅鑼焼きを載せて出てきた。

「お客様、『又藤』が気に入りましたか?」

「・・『又藤』?」

 オレは間抜けな声で聞いたこともない単語をオウムのように反復した。

 店員さんはオトナっぽく微笑み、答えた。

「『又藤』とは不死の藤。春夏秋冬の是非を問わず、常に花を咲かせて、決して枝だけにはならないんですよ。だから『不死』の‘又’に因んで『又藤』と言うんですよ。」

「・・なるほどォ。」

 翌々思い出せば、何で年中咲くのかは分からなかったが、その時のオレはそんな詮索などせず、ただただその存在に惹かれた。

「・・すごい。」

 後ろから幽かな声がした。先刻から座っていた少女の感嘆だった。

 彼女はうっとりとしたような、寂しそうな、或いは羨ましがっているような、いろいろがごちゃまぜに溶けている不思議な表情をしていた。

「ふふ。ではこちらに置いておきますので、ごゆっくりどうぞ・・。」

 そう言って、店員さんは盆をオレの側に置き、流麗な体のこなしで店の中へ戻ってしまった。

 視線をつ、と戻す。・・不思議なモノを見た。少女がオレのすぐ脇で盆の銅鑼焼きに手を出すのを出そうかどうか躊躇っていた。変なヤツだ。

「・・おひとつどうぞ。」

 しゃあないから盆を手に取り、彼女に差し出す。少女は目をぱちくりさせ、二秒フリーズ。そしておずおずと銅鑼焼きに手を伸ばし、オレの方をみる。その後に、目を逸らして、

「・・あ、ありがとう。」

と消え入りそうな声で言う。変なヤツ、でも可愛かった。

 

 後になって思うんだけど、オレは人生で最高の銅鑼焼きを食ったのはこの日だったと思う。お焼きは綿菓子のように柔らかく、仄かに甘みを持って、口の中に広がる。アンコは。薫り良し、舌触り滑らかで、咀嚼してもあのもそもそとした感触がない。少し甘すぎるくらいだが、熱ーいお茶との相性が抜群だった。

 

 最高の銅鑼焼きを片手にオレは彼女と少しばかり会話を試みてみた。

 彼女の名は智恵理(ちえり)。公園の近所に住んでいるらしい。引っ込み思案で、病弱。今日は温かかったから、少し顔を出していたとか。

 改めて見ると彼女、すっげェ可愛かった。まだあどけなさが残る小柄な顔に、明るさと愁いを帯びた大きな瞳、髪はボブショートくらいでふっくらとしている。

 オレが彼女に見惚れるには、それ程時間は要らなかった。オレは少しでも彼女のことを知ろうと、思いつく限りのことを話した。彼女は戸惑いながらも、オレの話について来る。

 そんなひとときが、マジで嬉しかったんだ。

 

 小春日とは言っても、十月の夜は寒かった。一陣の風が吹き、オレはぶるっ、と身体を震わせた。

 オレはふと隣を見る。彼女が肩を抱いて震えていた。目は弱々しくなり、心なし、少し苦しそうだ。

「・・寒いのダメなん?」

「・・うん。だから私、そろそろ、戻らなくちゃ・・」

 本当は引き留めたい、と思った。だけどそれがどれだけ野暮なことかは分かっていた。

「そうか、もう遅いしな。気をつけて。」

 彼女はこくん、と頷き、立ち上がる。オレに背を向け、扉に手を掛ける。

 不意に背中から声が掛かった。今も鮮やかに思い出せる、張りつめた声。

「・・最後に、いいですか。」

「・・なに?」

「私・・綺麗でしょうか。」

 やはり、今日会った子だった。桜の下で言った言葉を、そのまま口にする。

「綺麗・・うん、でも、どちらかというと、可愛い、かな。」

「そう、ですか。良かった・・」

「なぁ、また会えないかな?」

 オレは恥ずかしさに俯きながら、彼女に尋ねた。

「・・ええ、また、いつか。」

 そう、微かに聞こえた。オレはふっ、と視線を彼女に向ける。

 そこは既にして虚空で、誰かが居た気配もない。ただ、一枚だけ、藤の薄紫とは異なるものが舞っていた。

 それに手を伸ばし、優しく包む。微かに紅に染まった、綺麗な桜の花片だった。

「あれェ、それ、桜の花片じゃないッスかぁ。」

 オニイサンな店員が不躾に俺の手の中を覗き込む。

「小春日の狂い咲きッスかねェ。でも、今夜あたり冷え込むらしいし、もう散っちまったスかねぇ・・」

 そう言いながら空いた盆を片付け始める。

(もし、彼女が『其れ』だったとしたら・・)

 オレは居ても経ってもいられなくなって、目分量で漱石さんを置き去りに走り出した。

 

 暗がりの道、オレは勘だけで走った。普段は信じようともしない、冗談みたいな絵空事。でも、その時のオレはそれが事実であると信じていた。

 ともかく、がむしゃらに走る、走る、走る。息を吐くのも面倒くさい。

 そうこうしているうちに、トンネルが途切れ、世界が変わる。

 

 気付けば先刻の公園にいた。周囲はもう寝ているのかも知れない。人影も、気配もゼロ。

 オレは急いで『一本桜』の元へ走る。

ほっそりとした枯れ枝とぱりぱりの枯葉。『又藤』のすごさを改めて思い知った。

オレはその根元に立ち、静かに上を向く。『其れ』は一番てっぺんにあった。

微かに風に揺られ、たった一枚のみとなった、小さな小さな華のふくらみ。日光は当たるが、あまりにも高すぎるため、小柄な華は誰も気付かれることはなかったようだ。

「だからあんなに「私、綺麗」と訊いてたんだ・・。」

 折角咲いた花を見られることなく散るのは、やっぱ、淋しいモンじゃないのか?

 そう言いながら、オレは『一本桜』の太い幹をさする(セクハラとか、そう言うのはナシの方向で。)。ごつごつとした感触が手に伝わった。

 

 ちょっとだけそうしてから、オレは上(―月、華……どっちでもいいや。)をみながら、「・・大丈夫、君はとても綺麗だよ。」

と、心から言った。混じりっけのない、純な気持ち。こういうモノに、人生の中でどれだけ逢えるンかな?

 その言葉を知ってか知らずか、最後の一枚の花片が、風に吹かれて、闇夜に舞った。

 

 少しずつ冷え込んでいく夜に包まれ、オレの出鱈目なサミングが静かな公園に響いた。

 

 〜“愛してる”の響きだけで 強くなれる気がしたよ

ささやかな喜びを つぶれるほど抱きしめて
ズルしても真面目にも生きてゆける気がしたよ
  何時かまた この場所で 君とめぐり会いたい〜

 

 

 ――と。オレの昔語りはここで終いだ。

  未練がましいかも知れないけどさ、オレは今でも、この歌通りになることを夢見ているんだよ。

 だってそうだろ。春日を受ければ、桜はきっと咲くんだからさ・・

 

 

                                     《了》