盲目の天使 編 +第五章


「いらっしゃいませ」
 店に踏み込んだ陽子を迎えたのは、気のいい挨拶だった。
 まだ現実味を感じていない陽子は、ただ機械的に歩を進めていた。
 「お一人ですか?」
 と言う店員の言葉に、
 「はい」
 と答える陽子。
 「申し訳ありませんが、カウンター席が満席なので、ボックス席でいいですか?」
 断る理由もない陽子は、快く承諾した。
 案内されながらちらりとカウンターを覗くと、十数人の人々が、カウンターを残さず埋め尽くしていた。
 なのに、ボックス席には人っ子一人おらず、全くの無人空間が連続していた。
 「こちらです。」
 案内された席はこの店の一番奥の席。
 そのすぐ横の窓からは、さっきまで陽子が歩いていた商店街の町並みが一望できる。
 「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください。」
 「あ、これがあるんですけど。」
 と、ここで陽子は、先ほど当てた引き換え券を渡す。
 それを受け取った店員は、「以上で?」と聞き、陽子は「はい」と答え、次いで店員は「しばらくお待ちください」と言って去っていった。

 さて、ここまで何一つ不自然な事もなく、この奇妙な物語の舞台へとやってきた陽子ではあるが、どうやら運命はそれほど、陽子には優しくしてくれないらしい。

 しばらくして、陽子は気付いた。
 店に入る客の量が尋常ではない。
 さっきから、多くの客がひっきりなしに交換され、店の中に流れ込んできた。
 そして、あっという間にボックス席は埋め尽くされ、店内満席状態になってしまった。
 実は、どちらかと言うとこちらの方が普通で、先ほどまでのガラガラの状態が、この店にとっては不自然だった。
 それが、ただ単純に、普通を取り戻しただけである。
 しかし、この普通の奪回が、陽子にとっては運の尽きだった。

 「すいません。ただいま店内は大変混雑しておりますので、相席をお願いしたいんですが……」
 銀のトレイを持った店員は、ぺこぺこ頭を下げながら、陽子のいるボックス席にやってきた。
 見ると、店の外にまで人の列が出来上がっていた。
 それを見た陽子は
 「いいですよ」
 と、笑顔で承諾した。

 が

 「ありがとうございます。―――では、お客様、こちらの席でお願いします。」
 ドアの方に向って言った店員。そして、それに答えるように聞こえてきた声は、
 「どうも。」
 やけに聞き覚えのある声だった。
 足音が聞こえる。
 多数の人間でざわざわしている店内。にもかかわらず、明らかに鮮明に鮮明に聞こえる足音。
 店員が見つめる先。陽子もそのの視線の先の人物に目をやる。
 そこに写った人物には、やけに見覚えがあった。
 当然な事だ。なにせ、さっきまでその人物と会話していたのだから。
 いや、あれは会話と呼べるような代物ではないが、言葉を交わしていたと言う意味では相違ない。
 その人物は、残暑残るこの季節に黒いロングコートを羽織り、金髪の髪を帯びる、長身の男。
 ボックス席の前に立ち、陽子の眼前に存在するその男、柊は、
 「やあ」
 静かに笑う。



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