遺愛の国のアリス 編 +第十章

 「離せええぇぇぇ!」

そして、今の状況は、俺の両腕両足はがっしりと住人達に固められ、眼前には注射器を持ったワトソンとチャールズがカラカラと笑っていた。
「おとなしくしたまえ。」
俺は虚しくも体を捻ったり、首を振り回したりするが、ワトソンの腕(右側にワトソンの首がついているので右手はワトソンの腕だと判断した)にがっしりと顎を捕まえられると、首を動かすこともできなくなった。
「「さああああぁぁぁ!!儀式の時間だ!」」
周囲の住人達から歓喜の声が上がる。
「さあ!楽園を受け入れたまえ!皆、君の『帰り』を歓迎しているよ!」
「そうだとも!怖いとなんてないさ!」
「おおおぉぉぉおお!」と豪勢な奇声が響く。
「「ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!!!」」
ワトソンとチャールズは笑いながら針を俺の目に向ける。
「「さあ!楽園へようこそ!!!!!!!!」」
針が眼球に近づく。そのとき、その針の先端。小さく開いたその穴の先に、俺は確かに真っ黒な絶望を見た。

「やめろおぉぉ!!!」と叫んだ。そう、叫んだはずだった。
だが、その瞬間、俺の口からは別の言葉が漏れていたらしい。

空気が止まる。

先ほどまでの歓声は嘘のように消滅し、ただただ沈黙だけが唐突に現れた。
 
そして、その言葉を聞いたワトソンとチャールズ、ついでに住人たちと、最も遠いところにいる巨大クワガタも、その動きの一切を静止させていた。
ことワトソンとチャールズに関しては、大きな目をさらに大きく見開き、ブルブルと震え、ガタガタと歯を鳴らしていた。
何が起こったのか、俺には理解できなかった。
ただ、いままで沈黙してきた『声』が、言った。

『時は来たれり。』

そして再び、オレの口から同じ言葉が投げかけられる。
「私は希望無き希望の世界に願う事を知らない=v
それは静まり返った水面に一石を投じた。
沈黙していた住民達がわっと騒ぎだした。
さらに震えをましたワトソンとチャールズは、持っていた注射器を取り落とし、じりじりと後ずさりしながら四本の腕で自らの二つに頭を抱える。
「「あああああああぁぁぁぁぁ!!!!」」
けたたましい叫び声を上げる。
俺の手足を抑えていた住人達を、すごいスピードで俺を解放して逃げ出していく。
まさに蜘蛛の子を散らすような勢いで黒山の人だかりが解散される。
眼前のワトソンとチャールズを見る。わなわなと震えながら腕をどかした下の表情は、今までの二人を想像させないほどに歪み、怒蜀と悲愴に彩られていた。
「「貴様あああぁぁぁ!!」」
獣が威嚇するように、大きな口が裂けんほどに牙をむき出しにして綺麗な悪態のデュエットが叫ぶ。
「「恐ろしいいいいぃぃぃ!!お前はあああぁぁぁ、滅びの歌を歌うのかあああぁぁぁぁ!!!!」」
狂ったように自らの毛を掻き毟りながらワトソンとチャールズが叫ぶ。
「何か違う!何か違うと思っていたのだ!!!あああああまりにもおおお!こいつはおかししししししいいいいい!!!」
「あああぁぁぁあああ!そうだとも!!何かおかしいと思っていたのだあああ!!!ここに来るにはあああ!!あまりにもおおお!」

「「目が生きているのだアアアああぁぁぁあアア!!」」

「ここは愚か者の来る場所!」
「生きることに絶望し!」
「死すらも恐怖する、愚か者のせかい!」

「「それがヌーヴェル・リュンヌ!!」」

「「貴様は違う!!!!!!」」

俺は何がなんだか理解できなかったが、そんな俺の思考を無視して、俺の口は囀り続ける。
「私は自らの力を嘆く=v
二人の動きが止まる。汗まみれになった体を傾け、真っ赤に充血した眼球を俺に向けた。
俺は続ける。
「私も所詮は、世界を構築する歯車の一部であった事を自覚している。もう、この力で不幸な人を出さない事を願うばかりである。=v
「「きぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁああぁぁあぁああ!」」



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